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同じ言葉を話す僕らは、

※このnoteは2020年に書いた文章に加筆しています。

” ライヴっていうのは「ゆめじゃないよ」ってゆう夢をみる場所なんですね ”
引用:穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』


 はじめて彼らを生で見た時を思い出す。”本当に存在するんだ…!??夢みたいだな…これが現実?本当??”

 私は何度ライブを経験しても、ライブ後の数日間はずっと意識がふわふわしていて夢見心地だった。ライブという空間はあまりにも非現実的で、不思議な高揚感を得られる場所だと思う。

 ライブは”夢みたい”だけど、ちゃんと彼らが実在して、全てが嘘や幻ではなく本当だったと「ゆめじゃない」そう思える時間だった。



 2020年、世の中がこんな風になってしまって当たり前だったライブは無期限延期、中止。私たちが「ゆめじゃないよ」と確認する場所は無情に無期限で取り上げられてしまった。
 誰も悪くないし、仕方のないことだと言い聞かせていた。それでも、逢えていた頃を思い出しては、全部夢だったみたい と思った。逢えていた頃はすべて夢で、画面越しでしか逢えないことだけが現実かもしれないとさえ思った。そんなはずないのに。そうなるのに充分過ぎるほど逢いたいという気持ちは叶わなかった。


 そんな中、ジンくんはインタビューでこう言っていた

”君とこんなに楽しかったのに、その存在自体が夢だったみたい。 ”

(引用:Weversemagazine)

 私は少し驚いた。私たちと逢うことを”夢みたいだ”と感じてくれていたことに。だってアイドルである彼らは、ツアー中、毎日のようにライブをして、世界を飛び回っていた。それが以前の彼らには日常だったから。そして、驚きと同時に悲しみが込み上げた。

 私もジンくんと同じように感じれている事が普段なら嬉しいはずなのに、ジンくんも同じように、いやきっと私には想像もつかないくらい悲しく辛い思いをして耐えていたことが苦しかった。

アルバムBEに入っているStayの冒頭は「夢だったんだろうか」で始まる。

 私はこの歌詞がとても痛かった。ジンくんが書いたということを差し引いても、私の胸をグサりと刺す一節だった。

そして、ジンくんはこうも言っていた。

”ARMYの方々に会えていたのが、言葉通り夢のようでした。ああ、いつもあんな風に周りにいた人たちが、こんな一遍に、まるで回想のように消えてしまったので、果たしてあれは夢だったのか、もう二度と会えないのだろうか、”

(引用:Weversemagazine)


 あぁこの人も同じなんだ。きっと私では計り知れないほど大きいけれど、同じ”形”をした思いを抱いているんだ。

 ”私だけじゃないんだこの辛さを抱えているのは私だけじゃなくて、大好きなジンくんもこんな風に思っているんだ。”

とても悲しいけれど、私はずるいから、同じ形の痛みを感じられただけで何処か少しだけ救われた気分になった。




 会社や小中高が再開する中、一人の部屋に居続けないといけなかった時、家族の元に帰る訳にも行かず、友人と遊ぶことも許されず、

 でも私には夢や目標がなかったから、計画が大きく崩れることもなかったし、失うものも少なかった。

──だから大丈夫。
私より辛い思いをしている人はいくらでもいるのに悲しむべきではない。
だって、私はマシな方だから。大丈夫大丈夫。

 自粛期間中に一人の部屋に篭って私は心のどこかでいつもこう思っていた。私は大丈夫だと。 だからジンくんのある言葉を見た時に、はじめて大丈夫じゃない自分に気付いてとても驚いた。全然大丈夫じゃなかった。大丈夫と言い聞かせていただけで心はきちんと疲弊していた。

 その言葉を見てからは、きちんと自分に大丈夫じゃないよと言ってあげられるようになった。私は苦しいし、辛い。誰にも会えないのも、自由がないのも、学校がまともに始まらないのに、学費だけは変わらないこと。きちんと苦しくて痛かった。

 そう気づけただけでほんの少し楽になれた。
私はコロナとは関係のないジンくんの発言で勝手に一人で救われた。それでいいと思う。私は自分の好きな時にジンくんを利用して救われて、少しだけ楽になる。
 だから、ジンくんが誕生日の日に「こんな日にしか出せないから」と自分の心境を吐露した曲を出してくれたのも本当に嬉しかった。それでジンくんが少しでも救われるなら──というのは、ヲタクのエゴでしかないけれど、少しでもその肩に乗った荷物を下ろせたなら、願わくばそれを私たちが抱えられたなら……。と傲慢なことばかり考えていたのは、一生届かないので良しとして欲しい。

 最後に、私が救われたジンくんの言葉を。
これを見た貴方の心もほんの少しでも救われたならいいなと思います。
こんな誘い文句 何かの宗教みたいでちょっとあれだけれど……。

他人が大変だからと言って、自分の大変なことが辛くなくなるわけではありません。
だからいつでも「大変だ。」と、他人に「私は大変だから、私の方を向いて慰めてくれ。」といつでも言ってください。
(引用:「Happy new year 2017!」BANGTAN BOMB )



ここからは今の私が少し加筆します。

今日、6月13日は7人と私たちにとって、とても大切な日。

 最近の私と言えば、日常生活のことやコロナのこともあって彼らを以前のようには追えてない。それでも、毎日流れてくるコンテンツ。最初は追えないことがちょっぴり悲しくて、彼らは変わらないでいてくれているのに、私の気持ちだけ一体どこに行ってしまったんだろうと。

 でも、最近気づいたのは、彼らが変わらずにいてくれていることが、どれ程の支えになっているかということ。
 いつかジョングクか誰かが言っていた「僕らはずっとここにいます。たまに離れても、また戻ってきても、僕らはずっとここにいます。」(大大ニュアンス)という言葉を思い出した。思うように追えていなくても、日常が忙しくて少しだけ頭の片隅に行ってしまっても、辛くなった時は彼らの歌や笑顔に励まされたらいい。

 いつ見ても私の大好きな防弾少年団は世界中の優しさをぎゅぎゅっと詰め込んだような7人で、8年前から変わらない笑顔で笑っている。取り巻く状況が変わっても、ずっとずっと変わらない7人のままで、”そこ”にいてくれてありがとう。

貴方たちの心が、身体が、貴方たちを取り巻く環境が、ずっと健やかなものであって欲しいです。

同じ言葉を話す私たちは、会えなくても繋がっているんだと思わせてくれてありがとう。

2021年の目標を”泣かないこと”と言ったジンくんが、今年はarmyと一緒にたくさんの涙を流せますように。


会える日を願って

💜



2020~2021.6.13

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