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おおらかさ

とんでもない時代だなと思うことはあるが、大体いつの時代だってとんでもない時代だったのだろうなとも思う。何か違いがあるかといえば、今は繊細さとその延長にある偏狭と凶暴みたいなものが前面に出てきているのだろうか。

昭和の文学を読んでいると、ずいぶん乱暴な時代だと思う反面、そのことの下敷にあるおおらかさに少しホッとするところがある。自分を省みて、あんまり繊細であると他者の乱暴さに眉をしかめてしまいがちだし、眉をしかめることにはある種の快楽もある。行き過ぎるとおおらかさに対しても「それは良くないのではないか」と思ってしまうこともある。

乱暴さは肯定するものではないが、その下敷にあるおおらかさみたいなものは必要なものだなあと考えている。だけれど、おおらかさにはどうしても乱暴もついて回ってきてしまうとも思う。おおらかさのみを純粋に抽出できたらと思うが、それはとてつもなく困難なことであろう。困難ではあるが、目指さなくてはいけない気もするが。

なんとなく騙し騙し、大海にスポイトで垂らすが如く、自分の思うおおらかさを出していけたら良いなと考えている。あと、自分が正しいなどと絶対に思わないこと!と心にメモしておく。

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