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ちくわ

ちくわをモチーフに絵を描くことが度々ある。度々絵にはしているが、好物かと言われるとそうでもない。磯辺揚げとチーチクは結構好きだけれども、それ以外にちくわを食べることもめったにない。おでんのちくわも好きでも嫌いでもなく、ストローのようにして出汁を悪戯に吸ってみる時に意識するくらいのものだ。

ではなぜ絵に度々描くのかといえば、皮の色味とシワが寄っている感じ、形、そして何より穴が空いているところが好ましいからだ。穴が空いているというだけで、ずいぶんと絵の中で遊べる。花瓶がわりに花を生けたり、パイプや煙突のように煙を吐き出したり、炎を吹き出して飛ばしたりした。

同じ理由でドーナツも好きだ。穴というのは何もない空間だからこそ、そこに何かを想像できる豊かさのようなものがある。思えば人間の心も、時に「ポッカリと穴が空いたよう」になることがある。主に大切な存在を失った時に使われる表現だと思うが、穴が空いたばかりの時には、そこにあったものが失われたという悲しさや虚しさで、傷みとしての穴がそこにあるばかりなのだと思う。その穴は決して埋まりはしないが、時間と共に傷としてだけではなく、そこにあったものを確かに感じる標のようなものになるのではないかと思う。比喩的な意味で風も通るし、そこから何かが見えることもあるはずだ。

この世に存在する人の多くに(というかほとんどの人に)は、何かしらの穴が心にあいているのだと思うと、その一点において何かすごい感じるものがある。途方もなく、すごいなあと圧倒される気分になる。

建物が壊された後は何か寂しい感じがするが、その建物があった空き地にワサワサと植物が生い茂っていく様を見ると、やっぱり途方もなくすごいなと思う。

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