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ハサミ✂️

退職とかそういった人生のイベント毎に、
いただくものがある。

ハサミだ。

最初にいただいたのは小学生の頃だろうか。
それからというもの、
髪の毛を切りに行っては
切る人の手捌き・ハサミ捌きというものを見ては、
自宅で実践をした。

その興味が乗じてか、
立体というあるとあらゆるものの、
カタチの成り立ちが気になった。

小学生頃は服のパターンから、
舞台芸術で使用する小物類、

果てにはとうとう大学では、
グラウンドデザイン、
設計を学ぶまでになっていった。


卒業して社会にいざ出るぞという時になってからというもの、
必死に社会に合わせなくては、
という、半ば強制的な何かに翻弄されていたのだが、
最近になってふと思った。

どうしてこんなにもカタチとか、
バランスとかに拘るのだろう?

私の家系はだいたい
○○という名前の知れた会社か、
医療系、、
だいたいお堅いイメージなのだが。。。


長年不思議に思っていたのだが、
先日ふと思い出した。

そういえば祖父は美容師で、
私が最初にいただいたのは、
商売道具である、
髪の毛を切る為のハサミだったのだ、と。

どうしてハサミが私の下にやってきてくれたのかは謎であるが、
なぜ私が 
紆余曲折しながらも 
カタチを作る
ところに行き着いてしまうのか、
なんとなく、最近謎が解けてきたような気がしているのである。

もう片方の祖父も、商売を継いでおり、
わたしの小さい頃からの仕事は

カタチを作って 売る
ことであった。

そこに気づいたら、良い意味で、

人に好かれようとか、
人とうまく話す為に練習したりとか、
そういった色んなことがどうも
本質でないように思えてきた。

手段と目的は、履き違えないようにしたいものである。


モノを作りたい、という心、
その時に、
まずは道具に拘り抜いたり、
道具を大切にしようという精神は、
実は祖父譲りのものなのかもしれない。

本日もひたすら手を動かしてなにかを作りたい衝動に駆られる。

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