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自分を救うために夢を見ている

自他によるさまざまな負の要因で自分の夢創作への感情に自信が持てなくなったため自分の整理のため、自分を救うために「夢創作が好きだ」というでっかい独り言。
この手のものを書くのが初めてだし、夢書きなのに文章書くの苦手だしで、まとまりもなくただただ自分のためだけに書いた。乱筆で申し訳ないけど、ちょっとでも同意してくれる同士がいてくれたら嬉しい。
自分の話しかしない。ふわっとフェイク有。


気がつけば夢女

今の自分
男女/女女の夢書き。長いのは半年に1本書けば良い方。
現在は主人公=プレイヤーのゲームジャンルで夢創作をしている。サイト持ち。一次創作もしていた。

夢女になって1X年以上になる。
出会いは個人サイト全盛期。検索避けが存在していたか怪しく、ポップアップで名前入力を求められた時代。週間少年漫画の夢小説が検索に引っかかったことだった。
二次創作がなんなのかわからないけれど、公式ではないことは理解していた。たぶん「こういうのもあるんだな」くらいには思っていたと思う。

……なんて言ってはみたものの当時を振り返ったところで断片的な記憶しかなく、その時の感情なんかはほとんど覚えてない。「こういうのあったよね?」と聞かれて「確かにあった!」と答えられる程度の歴史的記憶。
気がついた時にはもう夢女。

幼少時”ごっこ遊び”が好きだった。その気はあった。だからこそ「好きな世界に入ることができる」夢創作の世界にすんなりとハマっていったんだろうと今では思う。


自給自足するしかねぇ

夢を書き始めたのは他の創作者を見て、自分もやろうと思ったから。例に漏れずテニスでだった気がする。ただその段階では公開には至らず、ひっそりとローカルで捏ねるだけだった。
個人サイトを作って公開し始めたのはもう少し先にハマったナマモノでの話だ。憧れの創作者がいた。そこで個人サイトを作る楽しさも覚えた。個人サイトはいいぞ!という話もいずれしたい。

前述の通り、入りこそ週刊少年漫画のメジャーどころだったが、基本的に”タイトルは有名だけど夢創作としてはマイナー作品・キャラ”を中心に夢を見てきた。あとは旬の時期を大幅に過ぎた作品。ナマモノもあった。
夢を見てきた作品で夢創作が掃いて捨てるほどあったのはたぶんテニスだけ。(ちなみに都大会くらいまでしか知らない)
マイナーだと必然的に数が少ない。あとだいたい更新停止している。いまでも最終更新がゼロ年代とか普通に見る。平成に取り残されているとかいうレベルではないが、残っているだけありがたい存在たち。
書き手が少ない夢女がすることはなにか。
極論、自給自足するしかないのである。

ある作品では短めのゲーム1本しか供給がない上、夢創作していたキャラの掘り下げも作中では十分と言えず、とにかく考察をすることでキャラの自己解釈を深めていくしかなかった。だから「このキャラで夢やってるの自分だけでは!?」というくらい人がいなかった。実際にはもう1,2人いた。交流はほとんど無かった。そんな作品で5年ほど夢を拗らせ、ローカル環境では"一次創作で良くない?"というレベルの創作までしていた。
正直めちゃくちゃ楽しかった。飽きもせず彼の夢を見ていた。彼が良かった。彼でなければならなかった。孤独だからこそ自由で楽しかった。たまに他人の脳を通した夢も見てぇとはなったけれど。


書く側の話

夢小説、書くのもめちゃくちゃ楽しい。そもそも一次であれ二次であれ物語を想像する、書くということが好きなので楽しくないわけがない。
好き+好き=最強。

夢女子にも色々あるのだがそれは夢が話題になる都度、別の夢創作愛好家が説明してくれているので割愛。ていうか別の愛好者も言ってるけど本当にさまざまな人がいて説明が難しい。
私の場合は「年齢と性格、キャラとの関係だけ設定*したオリジナルキャラを作って推しと恋愛させる」タイプであり、「こういう女と恋愛してる推しが見たい」が原動力だった。自分で夢創作するようになってからずっとそう。性格も年齢もさまざまだし、キャラ1人に対して違う女を複数人作ることもある。
*=例えばファンタジーもので属性が必要になったりした場合、必要に応じて足すこともある。

私の作品では、読み手には夢主に自己投影してほしい。だからオリキャラでも容姿は細かく決めていない。性格がついているので、自己投影し難いだろうけど、してもいい。これはあなたと相手の物語である。そんな気持ちで夢を書いている。
しなければならないということではないので、もちろんしなくても良い。夢主を個性の”ひとりのキャラ”として読んでくれるのもとても嬉しい。

何度も言うけど私は基本的にキャラが特定の女と恋をしている姿が見たいので、関係性としては友情以上のものを書いている。日常的なものから、倫理を外れたものまで。明るい話から、暗い話まで。思いつけばなんでも書きたい。

自分が解釈したキャラと夢主ならキャラはどういう反応をするだろうとか、こういうシチュエーションの時のキャラはどうするだろうとか考えるのが楽しい。
楽しいけれど、もちろん書けない時もある。他人に嫉妬することもある。
それでも私は夢を書き続けてきた。


自分を救えるのは自分しかいない

「夢女だ」とリアルのオタク友達にも主張したことがない。見抜かれていたとは思う。ネット上でも自サイトや鍵付きの夢アカで活動するだけ。
誰かと夢語りをしたこともない。ただ孤独に妄想を積み重ねてきた。これは単なるコミュ障だからである。
なぜなら「夢は隠れねばならない」という暗黙の了解があり(そんなものはない)、加えて自己肯定感が低く「自分のような人間が夢女といえば馬鹿にされるに決まっている」と思っていたから。
実際、夢を馬鹿にする風潮があったし、夢が下というヒエラルキーは確実にあった。過去形にしたけど今でもある。無自覚なものも含めて。すごい腹立つし悲しい。

現在は主人公=プレイヤー(PとかTとかSとかの類)のゲームジャンルで夢創作をたまにしている。嬉しいことに夢女としてある程度肯定してくれる環境が整っているジャンルだ。
それでも私自身はまだ夢を表に出すことに対して怯えや躊躇いはあるし(この怪文書出すのも怖い)、こっちの嗜好を堂々と「地雷です」「そもそも主人公が女がありえない、自己投影で無理」などと曰う人や、自CPageのために夢CPsageをしてきたりする人は度々見かけては傷ついて憤ったり、自信を失くしたりする。創作意欲も地の底。何日も。自他境界ガバガバで最悪じゃん。
でもそうやって地を這ってる時も脳内は「こういうのどうでしょう」「…採用」とやりとりをしている。どうしようもない夢女。

夢創作が好きだ。読むのも書くのも。最近は自衛のために他人のものを読む機会は減ってしまったけれど、相変わらず夢を見続けている。
自我が生まれてから気がつけば夢女だったし、ずっと夢女として生きてきた。一次創作に精を出していた時でさえ、夢小説を漁り、書く夢女だった。

私は、私を救うために夢を見ている。
「自分を救うために」とかたいそうなことを書いたけれど、ただただ夢創作が好きな自分を肯定したいし、肯定されたい。