命に対する価値観の話。

Million ways to die, One way to survive

先日、野口宇宙飛行士の引退記者会見が行われました。そこで、語れれたこの言葉が印象に残った人も多いと思います。

宇宙兄弟にもこんあセリフがあります。
アズマの「死ぬ覚悟はあるか?」という質問に対し、ムッタは「こりゃもう死ぬなという瞬間が来たとしても、ギリギリまで生きたいと思いそうです。」と答えます。印象的ですよね。

たびたび宇宙開発に出てくるこの「生と死」について、今日は書いてみたいと思います。

命を落とすことが許されない仕事

映画では何かを成し遂げ命を落とすことを美談として描かれますが、航空宇宙の世界で死亡事故はいかなる理由があっても許容されません。死亡事故が起きると、組織は運用を停止し、遺族・家族のケア、遺品の捜索に駆り出ます。士気が下がり負の連鎖を生みます。事業再開に多くの時間がかかり、最悪事業の停止という結論が出ることもあります。

そのため、事故が起こるたびに「血で書かれたマニュアル」のページが増え、再び同じ悲しみを生まないように、先人たちは私たちに教訓を遺してくれました。

飛行機は先人達の技術の継承により、今では極めて安全の確保された仕事となりました。しかし、仕事の一部は、どうしても危険度が増すものがあります。厚さ数センチの窓の外は死の世界となり、機体が試験要求を満たせない場合、機体の崩壊とともに私の命はこの世からなくなるでしょう。そんな私の死に関する価値観は以下のようになっています。

「あなたは死ぬ覚悟があるのか?」

答えはもちろんNOです。私は生きる覚悟だけを持ち、何が起きても最後まで生きる努力をします。例え異常が起きたとしても、それが自分のミスだとしても、生きて帰ってきて事象を伝え、再発の防止を図ることが責務であると考えています。

「あなたは人に命を預けることができるか?」

こちらの答えもNOです。私が誰かに命を預けるつもりで仕事をすることはありません。例え人が作った飛行機、人の作った試験項目、人が万全の状態で地上管制しているとしても、自分で解析値を確認し、自分で飛ぶと判断し、自分の判断で継続・中止をします。どんなときでも自分の命の責任は自分にあります。自分の死を誰かのせいにはしません。

「私はあなたに命を預けて大丈夫か?」

この答えもNOです。私は命を預けるという言葉が生殺与奪の権を受け取るという意味に聞こえて好きではありません。私が旅客機の機長ならば、乗客の命を預かることになります。しかし、我々は「Crew」になるのであって「Passenger」になる訳ではありません。
Crewであるならば、自分の命を誰かに預けることなく、主体性を持って命を守る行動を取りなさい。他の全員が死んだとしても、自分だけは生き残って後世に教訓を遺しなさいと言うと思います。

リスクと死生観

おそらく、このような死に関する価値観を死生観と言うのだと思います。私はこの価値観に正解は無いと思っていますし、人それぞれ違って然るべきと思っています。

大きな成果を得るためにはリスクを伴います。宇宙進出というリスクに挑むために私たちが賭けるものは、お金ではなく命です。

人はリスク許容度ゼロで産まれ、経験や努力、人のサポートによって少しづつリスク許容度を広げ、何にでも挑戦できるようになりました。宇宙に人類が挑めるのは、宇宙というどでかいリスクを小さくしてくれた技術者のおかげと、宇宙飛行士の能力によるリスク許容度の広さの賜物と思います。

私は、リスクを乗り越えて人類の未来を創る仕事、それが宇宙飛行士だと思っています。

Aviator