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ファミコンと新日本プロレスとガンダムと宇能鴻一郎

本日7月15日は、ファミコンの発売日らしい。

らしいと書いたのは、自分もファミコンユーザーだったのだが、それをいつ買ってもらったか定かでは無いからだ。

ただ高校生当時テレビCMを見て、ドンキーコングの動きが滑らかだなぁという印象はある。
(確か第一弾発売ソフト)。

発売した1983年といえば、新日本プロレスに夢中になってた時代。タイガーマスクの連勝街道にUWFと新日正規軍の絡み、そしてIWGPでの猪木vsホーガン。これはイカサマだという親父に対して、本気で怒ってたあの頃(若かったなぁww)。
毎日部活で、次週どうなるかなって話してた。
その強烈な記憶ともに、ファミコンのCMも心に残ってるのだ。

それは、インベーダー世代のボクらがアーケードゲームを自宅でできるという、新しい時代の幕開けを感じてたからかもしれない。

ビデオの存在もそうだった。テレビの映像を残せるなんて、テレビっ子の自分にしてみれば夢のマシン。フジテレビで放送された「ライブエイド」を見るために、テレビの前に布団ひいて徹夜覚悟で見入ったが、結局寝落ちしてお目当てのオフコースの中継を途中から見たという苦い経験。高額で買えないけど、ビデオがあれば…。という強い思い。

更には金持ちの友人がビデオを所持して、友達集めて日活映画「宇能鴻一郎の濡れて打つ」を上映。初めての動くヌードに、皆んな股間膨らせながらコーラ飲んで、際どい場面ではコップ噛んでたww。(就職してからビデオは即購入しました)。

そんな淡い青春の思い出のひとつとして、忘れられないのが「ファミコン」。

しかしながら、自分が親にねだって買ってもらったのは、同年、同時期に発売されたバンダイの「RX-78 GUNDAM」というゲームパソコンだった。

CMで見たファミコンのドンキーコングは、ど田舎のアーケードゲーム体験としてはいまいちマイナーな存在。絶対にやりたいっ!というゲームでもなかったのだ。

で、中学の時に流行った「ガンダム」。ガンプラの熱狂もあり、自分の中では当時、任天堂よりもガンダムが優勢で、ソフト的にも「マリオ」もまだマイナーな存在。強いて言えば「ベースボール」は気になったくらい。

ソフトラインナップを比較して、ベースボールは「RX-78」にもあった。ゴルフゲームも出てる。もちろんガンダムのシューティングゲームもあった。コレだ!パソコンだし、なんでも出来る(当時はそう思ってました)。そんな拡張性、将来性に賭けたのです。

しかしながら、若干の不安はありました。それはグラフィックのチープさ。ベースボールも対PCは出来ず、二人用専用で別売りでコントローラー2つが必要でした(泣)。しかも動きがスプライト表示でぎこちない。でも、他のソフトは面白いかもと今度は一人でも出来るシューティングゲームの零戦(ゼロファイター)を購入したものの、動きは相変わらずでゲームも単調だった…。

そして、バンダイが後年に発売した伝説のマシン「ピピンアットマーク」同様、やはり売れ行きは芳しくなかったようだ。

実感したのは、とあるパソコン雑誌にRX-78のソフト「関ヶ原」の懸賞。「このパソコンは誰も買ってないんじゃ無いか?」と思い、自信満々で多分当たると応募したところ、その通りに当選したのだ。嬉しかったけど、ゲームの出来は…。

そんな事もあり、自分の中では任天堂株が急上昇。画面の滑らかな動きのテレビCMが印象に残り、RX-78売ってファミコン買おう!ということになったのだ。
だから、ファミコン購入は後発。

確か「ロードランナー」に夢中になった思い出があるので「スーパーマリオ」発売で大ブームになる前年、1984年に買い替えたのだろう。

帰宅部になった自分は、それから「ロードランナー」、「チャンピオンシップロードランナー」、「チャレンジャー」、「10ヤードファイト」などさまざまなソフトで楽しんだ。

そう、最初からファミコンでよかったのだ。

『認めたくないものだな……自分自身の、若さ故の過ちというものを』

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