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さましてモーター


これは思いつきで書いています
(そんな勢いのときもたまにはいいよね)



「なんかめっちゃたいへん!なんで!?なんもしてないのに!稽古めちゃたいへん〜〜!いや劇は面白いし楽しいし全然大変ではない!あと出てる人みんなすごくいい!みんなのことは好き!でもなんかそういうの関係なくげっそりしてる!あれかも!なんか全然べつの話かも!なんかもっとシンプルに、、繰り返しがたいへん!?自分にとって!どっかに毎日毎日集まるってたいへん!?同じこと何度も繰り返すってたいへん!?自分にとって!!でも本番がすごく楽しいんだよね〜!だからやってみちゃうけどやっぱたいへん!なんで!?たぶんけっこう暇なのに!noteとかpodcastとか好きなことができない!それはやだ〜!まじでやだ!別にできるのに!できるのにできない!できるのにやんない!という自分やだ〜!!脳みそにずっと何かがあるのがたいへん!?わあ〜〜〜わわわわ!」

訳:

ゴールデンウィークが目前に迫ってきた。

ここ1ヶ月ほど連日続いた舞台稽古もいよいよ終盤戦だ。

自分はやはり、人と定期的に、同じ場所に長時間集って何かを練習する、という行為が得意でないと改めて思った。

その内容を問わず、もっと簡単で程度の低い話で、同じことを繰り返し継続する能力が著しく低いことをまざまざと実感させられる。

まず集えない。
ここではないどこかに集うという行為が極端に苦手だ。

「集合が下手」と友人から言われたことがあるが(その友人もどちらかというと下手寄りの人間)、その通りで、苦手で嫌いなのだ。

そもそもここから、ここではないどこかへ行く「移動」という行為が嫌いすぎて、アイスクリームを食べ続けた結果ゴールド会員になっているのだ。

「集合」は、それに加えて複数の人生が並行していて、ひとつの場所にいくつもの人生が集まってきている感じがしてとても怖い。

行った先でのことは今全く別の話で、行くまでの決心にかなりの労力を消費している。


そして、見知った顔の人と定期的に長時間過ごすのも、得意ではない。

そこにいる人がどうとかは問題ではなく、毎日人と同じ場所で顔を合わせ擬似的共同生活を送るのが怖い。

全く知らない人同士で集められて毎回初めましてであればその切り替えがはっきりとできるのだが、ある程度知った顔、だがほとんど知らないという状況で時間を過ごすと、そこにいる人全員の振る舞いとか、目に見える情報がいっせいに襲ってきて処理しきれないし、さらにそこから目に見えていない情報を補おうとしてしまい勝手に脳が疲弊してしまう。


何もいじっていないのに突然PCのHDDが「ブーン」と動き出すような、自分の意思とは関係の無いところでどこかが動いてしまって疲れる。


ということを、本当に久しぶりに感覚として思い出し、それを時を経ていま、思いのほか言語化することができたことに喜びをおぼえている。


こういった生活における違和感をこれまですべて漠然と捉えてきたが、最近になってそれを一つ一つ解明できつつある。
自分の中で明確になってきたことのひとつに、「帰属意識の低さ」というのがある。


ここではないどこかに属し、その場所を無条件に愛するという感覚が自分にほとんどないということに気が付いた。

その場所とはわかりやすく団体やグループとか、社会人であれば会社とかももちろんだが、もっと単位の少ない、「仲良し」とか、「大事」とか、そういうレベルの話も含んでいる。


なにか自分のなかに明確な理由があってその場所にいる、というわけではなく、「大事」とか「そういうもの」とかでいる人を想像できなくて、その実感を持てないことがとても怖い。


大事で、強く思うことはもちろんある。
というか、すべてに等しくそうだと思う。


全てにそうなぶん、全てにそうでないのと同じで、だからどこかに帰属する感覚が分からないのだ。


帰属するということはしない場所があって、それは熱の差があるということで、その熱の根拠が分からないとよけいに怖い。


自分は人間で、1人で生きていけないのでなにかに属し、そこから発展していくという道を辿らなければなにも出来ないわけだが、属すことで普通は多かれ少なかれ生まれる感情が無いことに気付き、そのことで自分を責めているところがある気がする。

そのことに意識が向くと、本来自分がそういったものから離れて自分だけの居場所として作ったはずのものに割く脳の容量がなくなってしまい、こうして本末転倒な結果を迎えてしまっているのだ。


自分の中にはっきりと、「好きなことだけして生きていけないんだから」という言葉が刻まれた重く錆びた鉄の板のようなものが存在していて、それを過剰に意識するあまりモーターが発熱してすべて使えなくなっている気がする。


それでも、そこにあるからにはそうすることが正解、とされていることがどうしても理解できずできない自分と、そのことを気にしてしまう異常ではない自分とがぶつかり合って、正常であろうとする自分に押し勝てないのだ。


こういった人は、周りにいないだけで実はたくさん存在しているのではないだろうか。

自分がその霧を抜けたら、どんな世界が見えるんだろうか。


自分はこういったごにゃごにゃしたものをシンプルに漂白して大成功することはどんなに望んでもできないと思う。


そしてこれが人に伝わらないということはわかったし、それを実感として理解できない自分に折り合いをつけて超えていくことが大事なのかもしれない。

帰属しないという環境なのか、生きるために帰属するものを無理やり生み出すのか、はたまた気付けていない帰属できるものを引き寄せるのか、わからない。


この自分が、自分のモーターが静かなまま快活に生きていける場所をもし見つけられたら、そのときはきっと同じような人が泣くほど喜んでくれるのではないだろうか。

冗談抜きでそう思う。


ああ、なんて言っていないで、やるべきことをやらなくちゃね

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