その② 琴線に触れる

今回は、一読してすっごく惹かれたんだけど、自分の中の好き、をなかなか言語化できずにいた2首。でもやっぱり好きだから、ぽちぽちと書いていきます。

1首めは、インアンさん(@InAn_erotica)の、うたの日での1首。


桃ってさ傷つけられる側だって思い込んでる節があるよね/インアン


読んだ瞬間、確かに…ってなった。いや、どういうことよ、って一見なりそうなんだけど、うん、何だか分かる。桃ってなんか、その他の果物より柔らかくて弱そうだし。丸いフォルムに薄桃色で、いかにもか弱い感じを醸し出してるし。そしてそのことを、作中の「桃」は自覚している気がする。自分は常に守られる側にいるはずで、傷つけられることはあっても傷つけることはない、という感じで。でも、「傷つけられる側だって思い込んでる」桃によって傷つけられる側もまた存在することが暗示されていて、そのことを、諦めたような砕けた口調で「節があるよね」と告げている。だからどう、とか、そのせいで私は…とか、そういう感じは一切なく、ただ淡々と述べる。同意を求めない問いかけのような形の結句で終わるから、すとんと胸に落ちてくるのかな。一読してすごく惹かれた歌でした。

次ー!

2首めは、ふうらい牡丹さん(@button_furai)の、うたの日での1首


傷ついた眼鏡を掛けてこの世界すべて等しく傷つけてゆく/ふうらい牡丹


うん。すごく好き。結句が「傷つけてゆく」なのに、全然傷つけられない。むしろ優しく感じる歌。「傷ついた眼鏡」越しに見ると、見るものすべてに傷がついて見える。だから、見える「この世界すべて」を「等しく」傷つけてゆくことになる。なんだけど、眼鏡越しだから傷ついて見えてるだけで、この行動によって、世界は全然傷つけられない。でも、あらゆるものが含まれる「この世界すべて」は、たぶん無傷なんかじゃない。傷のある部分とない部分があって、そのどちらもを眼鏡をかけることで「等しく」することができる。だから、優しく感じるのかな。それに眼鏡の傷って、意外とかけてしまうと気にならなかったりする。眼鏡をかけるまで意識されていた傷は、かけてしまうともう見えない。でもそれは、近すぎて見えなくなっただけで傷が無くなったわけじゃない。傷つくこと・傷つけてしまうこと、そのどちらにも自覚的な感じがして、何だか救われる思いのする歌でした。眼鏡をかけるって一瞬だけど、とてもゆったり、そして繊細な動作に感じられるところも好きな歌です。


今回はこの辺で。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

ではまた。





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