【Getting Over It】 苦行の果ての成長物語
クリアする度に壺の色が金色に近づき、50回を越えると完全な金色になる。通称「金壺」
2017年に登場したGetting Over It with Bennett Foddyは理不尽難易度の苦行ゲーとして名を知られている。
私もはじめの10時間はそう思っていた。
しかし10時間を超えたあたりから、もしや面白いのではと思い始め、18時間が経過し初めて登頂したとき、このゲームが神ゲーであることに気付いてしまった。この達成感はなかなか他では味わうことができない。
はじめに
Getting Over It with Bennet Foddy(以下、壺)はなぜか壺に入っている上半身裸の男が、ハンマーだけを使い不可思議な背景の山を登る、そんなゲームだ。
プレイヤーには男が誰なのか、なぜ壺に入っているのか、なぜハンマーだけなのか、何一つ説明はない。そもそもこの男は人間なのだろうか?
また一定の距離を登るたびに様々なナレーションが入る。そしてプレイヤーが落ちるたびこちらをいたずらに煽ってくる。
なぜこのゲームが苦行なのか
このゲームははじめの10時間、たしかに苦行だった。なぜか。
プレイヤーが操作方法を全く知らないからである。プレイヤーはスタートとともに荒野に放り出され、マウスを動かしてハンマーを操ることになる。実にシンプルな操作だ。なるほど説明不要だろう。
しかしこの山を登るにあたって必要な操作について一切解説されない。
ハンマーを大きく回すこと。小さく回すこと。地面にハンマーをつけてから伸ばすことでジャンプできること。ありえない角度で着地できること。
プレイヤーは何度も落下を経験しながら、試行錯誤の末これらを身につけていくことになる。
登り方は死んで覚える。
プレイ時間が10時間を超えて私はあることに気付いた。
「あれ? これ前のところで同じようなことやったぞ」と。
このゲームは理不尽な難易度だとよく形容されるが、決してそうではない。
分かりづらいかもしれないが、秀逸なレベルデザインによって難しいが理不尽ではない難易度になっている。多くの難所は以前使ったテクニックの応用で登ることができる。
プレイヤーは落下(死)によって何度も戻され、その度に以前通った場所を登っていく。そうやって次に必要なテクニックを練習させられている。そしてその度に感じるはずだ。「俺、前よりもうまく登れるようになってる……!」と。ときには信じられないほどうまく登れて、自分は神かと錯覚することさえある。
あるいは落下してしまうことさえ、練習が足りないからもう一度登って練習しろ、という山のありがたい教えなのだ。壺は一種の死にゲーと言える。
壺はプレイヤーの成長物語。
壺では難所を登り切るたび、他のゲームでは味わえない素晴らしい達成感を味わうことができる。そこを登るまでに何度もナレーションに苦汁をなめさせられているから、喜びもひとしおだ。
そして全てを踏破し登頂(クリア)してもう一度登ると、クリアまでの時間が十分の一近くになり、さらなる達成感を味わう(筆者の場合一度目18時間。二度目2時間)。
そしてついにはより早くクリアできるようにと何度も何度も登り始める。
Steamのグローバル実績データによると執筆時点で全体のクリア者は5.4%なのに対し、二度以上登頂した者は3.8%。一度クリアしたプレイヤーの3分の2以上がリピートしていることがわかる。金壺と呼ばれる50回以上クリアした者も1.1%。クリア者の20%近くが50回以上クリアしていることになる。
難所を登る達成感、タイムを縮める競技性、壺はどこまでもプレイヤーの成長を実感させてくれる。近年ここまで成長を実感できるゲームは稀だ。
最後に
操作方法は全部ゲーム内で説明してくれて、やることは全部教えてくれて、途中でレベル上げしなくても、練習しなくても特に詰まることもない。
そんなゲームに飽きたら、このゲームにチャレンジしてはどうだろうか? 苦行を通して自分自身の大きな成長を実感しよう。
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