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誠実の代償

「全国500店舗で調査して、2店舗だけだよ。君の店の中でやってたのが君だけ。なんでこんなことをした?」
次長は恐ろしく冷たいトーンで問いかけてきた。
言いたいことは山ほどあったが、私は「申し訳ありません」と答えるしかなかった。

NISAには苦い思い出がある。
儲けたとか損したとかそういう次元の話ではない。日本でNISAが始まったころ、銀行で業務推進する商材の一つとして、NISA口座の開設の件数を積み上げていた。
担い手によっては親兄弟、果ては美容室の美容師さん、居酒屋の大将などその裾野拡大の広角っぷりたるや、往年の大打者落合を彷彿とさせるような担い手もいたぐらいだ。それほど皆NISAに熱狂していた。
そんな時。 私はNISAで事故った。

銀行員は人事評価が全てだ。そして人事評価は業績評価でほぼ決まる。
収益を稼ぎ、販売や貸出実行額を積み上げ、業績ポイントを競う。
また、ポイントの項目の中には、その時その時でカードや関連会社への連携、生命保険の契約、投信口座、NISA口座開設の件数など、取引基盤拡大の目標が張られる。
その時のテーマはNISA口座開設だ。しかも、一定以上の金融資産がある顧客層からのNISA口座開設件数を積み上げることが必要だったのだが、この愚かな目標設定は、担い手と中間管理職たちの愚かな行動を引き起こしたのだった。

銀行は近隣のいくつかの支店で一つのグループを形成しており、一番大きな店がグループの中心として旗艦の役割を担う。
ある時、旗艦店から、成績優秀者で若くして役席に昇格した女性が、私のいる店に異動してきた。
その成績優秀役席は、営業会議の中で「なぜ当店はNISA口座開設件数が少ないのか。こんなに簡単なものは他にないのに」と言って、NISA口座開設のノウハウを我々に説いたのだが… 聞いて愕然とした。

「資産額が満たなくてもうまいこと資産がある欄にチェックしてもらうんです。せっかく口座開設してもらってるのに、それが評価されないなんて勿体ない。誰に迷惑をかけるわけでもない。こんなことは旗艦店はおろか、全国的にやってない店は当店ぐらい。だから突出して出来てないんです」

思った。バカなのだろうか。
場がざわっとなりながら、その後、支店はNISA口座開設件数の遅れを全国平均並みの進捗率までキャッチアップしていった。
担当者ごとに顧客の層は異なる。私のような融資もやり運用もやり、という担い手は資産額の大きい顧客を割り当てられる。
窓口担当者や融資をしない外回り、若手は、資産額の大きい顧客が割り当てられない。
NISA口座開設件数で苦戦をしていたのは、こういった担い手だった。

ネット証券で口座開設をしてみると分かるのだが、金融機関が顧客と取引する際、アンケート形式の保有金融資産のヒヤリングがある。顧客の自己申告なので、1億円以上につけたところで、別に調べることもなければ調べようもない。そして、銀行は資産額の大きい顧客を優遇するので、公式に「資産額の大きい顧客」と登録することは、顧客にとっても悪いことではない…
手を汚すのを正当化するには十分な理由だった。

もともと、まじめな担い手が多かった。その期が終わる頃には、NISAの口座開設件数の進捗率は上限に届き、支店も成績優秀店として表彰されるぐらい好調だった。
期末。支店の中で、最後のNISA口座開設件数追い込みキャンペーンが行われ、各人1件のNISA口座開設の獲得目標が与えられた。
期末だ。担い手にはもうこれ以上見込み先が残っていない。それでもどこかからか取ってくるのだが、私は見込み先があるのでのんびりしていたところ(ゴールテープを切ると目立つのだ。しょうもないことだが。)、未達が残り二人、私と一人の後輩しかいなくなってしまった。聞いてみると、その後輩は見込み先が無い、と困っていた。
はて、困った。後輩は数字をあげていないわけでは無かったのだが、本当に銀行の悪いところで、こういった期末のキャンペーンに参加しないと、その期全体の活動に渡って非常にイメージが悪くなる。
バカみたいな話だが、無視するのはもっとバカな話だ。
ふと思った。私の妻がまだNISA口座を作っていない。
こうした。
後輩に見込み先の手続きを代行してもらい、実績を譲り、私は妻に作ってもらった1件で目標達成。妻の資産額については鉛筆をなめて。顧客相手には正直にやってきたのだ。このくらいよかろう。困っていた後輩を助けるという自己陶酔もあった。
結果、全員が目標達成。私の行いは称賛を受けたのだった。

2年後、私は別の店に異動していた。そしてある時、全店的に直近の不祥事案の共有が行われた。

【ある支店で顧客の本来の保有資産よりも多く申告してもらっていた事案が発覚。これに伴い全店的な調査を行う】

やっとか。 当たり前だこんなことは。 この不正は全店的に大量に摘発されるだろう。 業績評価のあり方や営業の仕方について、根本的な見直しの流れに繋がっていけばいいな…そんな風に思っていた。
「調査対象リスト」に並んでいたのは、行員が行員自身、あるいはその家族のものを獲得した実績の一覧表だった。それだって少なくない数なのだが、副支店長が全件ヒヤリングを担当し、私にも事情聴取があった。

「奥様か。大丈夫だよな?」副支店長が切り出す。
「いえ、申し訳ありませんがこれ該当します。前の店でも当店でも、相当件数あがっちゃうと思います。」と私。
「あー…勘違い、ってことは無い?把握してないこともあるだろ?」
(優しいな、副店) 「いえ、無いですね。申し訳ありません」
「そうか…まあそうだよな。了解。分かった。ありがとう」
副支店長が去っていった。
正直に話した。一石を投じるつもりで。自分は対顧客は何も恥ずべきことはしていない。業績評価の為ならば顧客属性に細工しても構わないという風潮は何とか変えていきたかった。

ヒヤリングの何日か後に、この件で本部に呼ばれて行った。相手は次長。以前は人事をやっていて、人事の立場で私と何度か面談しており、非常に柔らかい物腰の方だった記憶があったのだが… この日は記憶とは全く違った人物がそこにいた。
開口一番、こう言われた。
「全国500店舗で調査して、2店舗だけだよ。君の店の中でやってたのが君だけ。なんでこんなことをした?」
次長は恐ろしく冷たいトーンで問いかけてきた。
言いたいことは山ほどあったが、私は「申し訳ありません」と答えるしかなかった。
自分が何をしたか分かってるのか。あり得ない。二度とするなよ…

(自分は本件に対して問題意識を持っています。なぜなら、この不正は前場所の旗艦店から持ち込まれた事案であり、私の知る限り相当数の店舗で同様の事案が起こっているからです…)と言い返すなど、まず考えられなかった。
それよりも、だ。

全国500店舗で調査して2店舗だけ。君の店の中でやってたのが君だけ。

絶望するのに十分な言葉だった。 次長はそんなわけがないことを分かりながら、私を叱責している。
副支店長がせっかく、せっかく蜘蛛の糸を垂らしてくれていたのに、私はそれを掴まず、他の人は掴んだ。

だが。
顧客に対して誠実であれ、仕事に対して誠実であれと、偉い人は言う。
誠実さとはなんだ?
嘘の実績によって来期の目標が決まる。つまり嘘のデータを見て経営判断が為されていくんだぞ。
副店が垂らしたのは本当に蜘蛛の糸だったのか?掴めばサラリーマンとして保身はできたのかもしれないが、正しい行いだとは思えなかった。

パワハラで辛い目にあう方が、遥かにマシだった。
本件で人事上のペナルティは無かったらしい。
副支店長がバツが悪そうに教えてくれた。
「良かったな…」と。
確かに。どうでも良かった。人事上のバツが付こうが付くまいが。

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