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友達と言葉 - 2023/05/31

保育園で、娘の靴下を見て、娘のクラスメイトで仲の良いAちゃんが、「動物がいっぱいで気持ちわるい」と言った。
その言葉が出た瞬間、相手のお父さんが慌てて「ごめんね!!」と娘に謝った。
そんなことを言うと、言われた方は悲しくなるから良くないよと言われるて、Aちゃんは後悔したのと、お父さんに叱られたことで泣いてしまった。

私はそれらを見ていて、見て感じたことを、思うことや言葉にするのは悪いことではないよなぁなどと思っていた。

Aちゃん親子に対しての気持ちを書きたいわけじゃなく、嫌悪感なども全然ないので、これはきっかけの話。

「そんなこと思っちゃいけない」と自分で感情にふたをするのは良いことだろうか。

私は、よく自分の気持ちがわからなくなるので、意識して正直な気持ちを見つけようとしている時間が多い。
(自分に対して)頑張って話しかけて、いろんな角度から問うて、そこから本心に気づくこともある。

何か物を見て、色んな人が「好き」「かわいい」「好きじゃない」「かわいくない」と、思うこと自体は、どれも何も間違ってないだろう。
だけど、誰かの好きなものを否定しちゃいけない、というのは、ちょっと違う気がする。

◯◯を嫌いな人が好きな人にどう伝えるかや、わざわざ言葉にするべきかはよく考えられるようになった方が良いけど、口にする手前までは受け止めて良いと思う。自分の気持ちを押し込めたり、否定するのは、なんか違うと思う。

集合体恐怖症の人が、誰かの着ているイチゴ柄の服を見て、その種のつぶつぶを「怖い」「苦手」と思うのは、仕方がないだろう。
それをどう伝えるかや、言われた方がどうしていくかが、関係性に関わってくる。これからも一緒に遊びたい場合、自分はそういう柄が苦手だというのは、言っても良いと思う。

言われた方がどう思うかは、言われる側にならないとわからないこともある。つぶつぶが苦手な人がいるのかを知らないこともある。

例えば私はサメが好きだけど、子供たちの世界ではサメは怖くて悪いやつになりがちなので、悪いやつといわれるとちょっと悲しくなる。
そういうときは、私は好きだし怖くないやつもいるよって、伝えたり教えたりしないとわからない。

自分が嫌な気持ちになることを言われたときに、どう伝えられるかは大事だろうと思ってる。これは、普通に大人でも人間力とか器のでかさが試されるというか、持っていなかった視点や知見を気づかせる能力。これもまたコミュ力だと思う。

ただ、伝える前には、自分で受け止めることも必要で、何がどう嫌だったのかを分析しないとうまく言えるようにならない。言う必要があるのかも。

嫌なことをはっきり言わないとわからないこともあるし、
マジでだめなことされた時に絶対許さない的な意思表示が大事なこともあるし、
相手と意見が違うときに、どちらの意見も間違ってなく、お互い尊重できるようになると良いことも多いだろう。

こういう思ったことの言語化も、相手への伝え方も試行回数が大事だと思うので、「言った伝わった経験」によって、その後できるかどうかに影響が出そう。保育園とか学校てのは、利害関係がないなかで、そういうことを考えたり喧嘩したり感情を動かして知っていく場だろう。

なんかそんなことを改めて考えたのであった。日記でした。

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