見出し画像

FF14黄金のレガシー感想

満足な点

グラアプデで美しくなった世界

イベントでもキャラが生き生きして、大変良い。新しいエリアを訪れる度にでスクショが捗りすぎてメインストーリーを進める手が止まる。これだけで、ありがとう、黄金のレガシーと言ってもいい。

キャラ

グルージャジャ
いいオヤジキャラでよい。ヒカセンとの一騎打ちあたりのワクワク感は良かった。
クルル
ようやく掘り下げがあって良かったんだけど、最後の詰め込みの一つになってしまったのが、という印象。
グ・ラハ
最終エリアの唐突なゴンドラデートはなんなんだ……?メインヒロインか??そうか、ヒロインか……。
エスティニアン
お前が一番夏休みを楽しんでじゃねーか!!そっちについて行きたかったよ……。
サンクレッド&ウリエンジェ
ライバルチームというか、コーナの保護者。やっぱり共闘よりバトルが欲しかった。
オーティス
後半の大好きなキャラ。王国と姫を守り、子供にも好かれる、こんなに気持ちのいい王道騎士キャラはFF14にいなかったので新鮮。スフェーン様の言葉でロボオーティスが自我を取り戻して彼女を守り散っていくところはベタで予想通りの展開なのに最高。こういうのでいいんだよ。
スフェーン
黄金のレガシーで一番好きなキャラ。心優しい王女の記憶を基に再現された人格にしてアレクサンドリアというシステムの管理プログラム。
管理プログラムなのに国民を愛し守りたいという心は本物で、心があるから非情になり切れず苦しむ。
優しいだけの王様じゃみんなは守れなかったんだよ、という言葉が切実で悲しい。
最後は、いっそ心が無ければ、生み出されなければ、と、消えていくけれど。彼女がいて、心がある優しいシステムだったから救われた人はいたはず。

不満な点

ゾラージャの掘り下げ不足

最後までやりたいことも信念も解らないままだったFF14では結構珍しい敵。ゼノスですら最期は少しだけパーソナリティが見えたのに、ゾラージャくんは何も見えないまま退場。
最期の会話からして、パンデモのアテナみたいに完全に理解不能なキャラでも無さそうなので、ただ単に描写不足。
序盤は、外征は国民に戦争の悲惨さを思い知らせて平和の意味を解らせるためにやる、と言っていたから彼なりの国家信念やそう思うに至った何かを期待していた。が、結局何も無かったので、ガッカリ感がすごい。
知って好きになるが得意なウクラマトが何故、もう一人の兄であるゾラージャのことは知ろうとしなかったのか、あるいは出来なかったのか。三兄弟の過去や、継承戦前にどういう関係だったのかが全く描かれない。奇跡の子と持ち上げられて歪んでいった過程をウクラマトはどう見ていたのかも不明。コーナは留学中だっただろうから、知らなかった? 性格的にも厳しいか。となると、あれだけ人との距離を詰めるウクラマトが兄にはそれが出来なかった理由付けが欲しい。

最終エリアの暁とウクラマトの行動の違和感

記憶を元に再現された永久人たちの暮らす階層へ乗り込む。
暁とウクラマトは永久人たちを死者と呼ぶが、スフェーンは永久人たちを死者と思っていない。というより、生きている死んでいるが重要ではなく、守るべき国民であるという立場。
その認知差を埋めないまま、永久人のカフキワに頼まれたという免罪符で永久人を抹消していく。
その行為はスフェーンのやろうとしていることと、何が違うのだろうか。自分の大切なものを守るために他の人の大切なものを壊す。立場が違うだけで、それは同じはず。
ヨカフイ族の死生観では、誰かの記憶に残る限り人は生き続ける。裏を返せば、記憶が消えた時に人は本当の意味で死ぬ。アレクサンドリアのシステムが手段はどうあれ、同じような思想で作られている。障壁の中で死んだ人の記憶は収集され、周りの人の中にも残らない。代わりにリビングメモリーのターミナルが憶えている。だからアレクサンドリアでは国民が死ぬことはない。
記憶の残滓であっても、命を持たない再現データであっても、やっぱり消去することは『殺した』なのではないだろうか。プレイヤーへの配慮なのだろうが、もう死んでるんだから消すことを気にしなくていいとカフキワは何度も言ってくれる。

だけど、そうしなければならないのと、気にしなくていいのは違う。

最終的に方法がそれしかないとしても、自分の身内と話しただけで勝手に満足して、ターミナルをどんどんシャットダウンするウクラマト一行の姿はグロテスクですらあった。

エレンヴィルと、ヒカセンの選択肢にシャットダウンしたくないがあったのだけが救いか。

何より、ウクラマトが言い続けてきた、「知りたい、好きになりたい」が後半からは、どうしても嘘っぽく聞こえるのが、とても残念。
マムークの双血の教えのところでも感じたけれど。異文化や違う価値観を受け入れられないかもしれない。その時どうするか、が描きたかったストーリーだったはず。
なのに描写不足なのか、ウクラマトは言葉では知りたいといいながら、最終的には相手を否定することでしか結論を出せていなかった気がする。
表面的に見て知った気になって。その実、違いを自分の持っている倫理観でしか判定せず、好き嫌いで断じてしまう。
それを偽善と批判する人もいない。
永久人の中には消えたくないと叫ぶ人はいなくて、それなりに受け入れてしまうし、スフェーンも最後まで抵抗するものの、永久人を消したことについて責めてこない。

ウクラマトとそれに着いてきたヒカセンはリビングメモリーの世界と人々を壊した。それは許されない罪だと描いても良かった。
けれど、スフェーン自身もトライヨラ襲撃に多少は関与していて。お互いに許せない。譲れない物のために戦う。その後で、少しだけ分かり合える、でよかった気がする。

誰かを守るための戦いは誰かの守りたいものを壊す戦いで。誰かの願いを踏みにじってでも、自分の信じる未来のために前に進む。
そのことを覚えている。自分が踏みにじった想いまでも継いでいく。
蒼天、漆黒、暁月では、そんな描写も逃げずに表現してきただけに残念。

とはいえ、7.1以降で描写があることに淡く期待している。ウクラマト、オブビリオンはスフェーンを慕っていた国民達とどう向き合うのか。特にソリューションナインの病気の子にはどうやって説明するんだろうか……。
ラスボスを倒して終わる話ではない世界を描いて欲しい。


乗り込んで来て、アレクサンドリアの王を二人とも殺し、幼い王を立ててその後見人になる。客観的に見たらトライヨラのやったことは完全に侵略者の傀儡政権樹立ムーブなので、二国の関係がどうなるか期待。

そういえば、ここまでの旅路で出会って来た、ウクラマトが守りたい人々も、暁の仲間達も、ヒカセンも、メタ的にはFF14というゲームのデータに過ぎない。だから、リビングメモリーと同じようにサーバをシャットダウンすればみんな消えてしまう。そう考えると、この構図は面白いかもしれない。

残った謎と考察

世界を繋げる力の鍵の正体
アゼムのクリスタルに反応して模様が浮かんでいたので、やっぱりアゼム絡みか。ただ、アゼムの持ち物だとして、彼/彼女は世界と一緒に分割されたはずなので、鏡像世界を繋げる力として使っていたとは考えにくい。なら、本来の用途があるのか?

プリザベーションは何者か
7.0メインクエの段階では、単純に倫理観のない悪の組織みたいな扱いだったけれど。雷光大戦で滅んだ世界で障壁の中で生きる為に生まれた組織だったりするのだろうか。
そもそも魂の資源化と再利用は雷属性に偏った狭い世界で生き残るために生まれたとのこと。それを主導したのがプリザベーション。
エレクトロープによって原初世界よりも遥かに進んだ文明を築けるくらいだから、アシエンの存在を疑ってしまうけれど。
雷光大戦を起こすのはアシエンの目的にかなっている。鏡像世界を雷属性に偏らせれば、原初世界の霊災と合わせて世界統合が出来るから。
でも、復興を後押ししたり、魂の再利用で星のエーテルの巡りをせき止めたりするのはアシエンの目的とは一致しないはず。

話は変わるが、理想の王として王女スフェーンの再現体を作った理由は、なんだったんだろう。最終IDの描写を見る限り、きっと生き残った人々の願いではあったはずで。
終末に絶望する世界を救う願いによって生まれ、古代人の魂が捧げられたゾディアークに通じるものがある気がする。


今後、語られて欲しい。

エメトセルクは黄金郷に何を思ったか
争いもなく、穏やかな世界。アーモロートにも似た摩天楼。「なり損ない」達が作った擬似的な真なる世界。
「見ておけ」と言った以上、なんらか思うところがあったに違いない。
何より、記憶を元に再現された世界に似たものをエメトセルクは作っている。第1世界の海底に再現されたアーモロートだ。
これは流石にもう語られることも無さそうなので、想像するしかない。
エメトセルクからの課題も残すところ2つか?
『ブラインフロストを超えた者のみたどり着く秘宝の島』と、『アラグの時代に蹂躙された南方大陸メラシディア、その今』
メラシディアは次以降の拡張だとして……新しい冒険に期待。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?