私のクラスメイト(小学校)⑩

こんにちは。このところずっと家にいて、少し煮詰まってきているので、バスに乗って海の近くまで来てみた。私は、コロナ前は、映画館に週1で足を運ぶ程の映画好きだったが、コロナを通して、そんな習慣は一変した。今日は、その映画館のある周辺に久しぶりに来てみた。気温も過ごしやすく、空を見ているだけで、気持ちが落ち着く。

小学校のクラスメイトの話を書いているが、誰か忘れているような気がする。自分と転校生を除いても、まだ10番というのは少ないと思うからだ。卒業アルバムも自宅にあるはずなのだが、今探しているのだが、なかなか見つからない。

今日、今振り返ってみるとあまり交流がなかったのかもしれず、彼との思い出というのが、あまり思い出せない。背はみんなより少し高めで、体格は普通くらい、活発な方だったが、体育も他の科目も全体的に、あまり得意ではないようだった。

彼に限った事ではないのだが、場面緘黙を持っていると、声を聞くというか、話すという行為を珍しがられ、幼稚園時代から、小3くらいにかけて、よく友達に「あいうえおって言ってみて」と言われて、私は友達の耳元で囁くのだった。当時も現在も、それは別に私にとって嫌な事ではないのだが、そうして、まわりの友達は私の声を耳にするのだった。私だって、なんで学校に行くと声が出なくなるかさえわからなかったのだが。

学校の成績があまりよくなかった彼だったが、3年の頃、私は彼と共通する事をよくやっていた。それは、忘れ物がとても多いということと、提出物を期限までに出さない(出せない)ということだった。理由は自分にもよく分からないのだが、毎日何かしら忘れ物をしていて、教科書だったり、ノートだったり、時には筆箱だったりと、本当にいろいろな物を忘れているのだった。教科書なら、席の近い人に見せてもらえば良いが、それがノートとなると、そういう訳にもいかなかった。今でもそうかは不明だが、小学校の頃のノートというと、科目ごとにそれぞれ特徴があった。中学や高校になれば、大学ノートを数冊買って、それに科目ごとのタイトルを書いて済ませればよいのだが、私の学校では、当時はジャポニカ学習帳というのを使うのが主流で、ノートを忘れて、他のノートに書こうとはするのだが、傍から見たら明らかに違うノートにバレないようにと、ビクビクしながらノートを取るのだった。

また学校の机の中も結構ぐちゃぐちゃで、掃除の時間などに、机の移動中に誤って、倒されて中の物が全部出てしまうような事があると、ぐちゃぐちゃになった、随分前のプリントやら、酷い時には、カビの生えたパンなんかが出てくるのだった。同様に、そのクラスメイトも同じような感じだった。よく提出物を出さなかったとして、一緒に立たされていたという記憶もある。

マラソン大会の時にはなどは、足の遅い同士でよく一緒に並走していた記憶もある。だが、途中リタイアはせず、よほどの体調不良などがない限りは、みんな完走していた。

だが、彼に虐められるということはなかったと思う。みんなにいえる事なのだが、悪いイメージは特になかった。家の方向も違っていたし、会うのは学校だけだったと記憶している。

中学になると、違うクラスになり、あまり交流もなくなり、その後の進路などについての情報は何も知らない。

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