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現在の私に至るまでの話⑥

さて、お世話になった人の訃報を受けて、お線香を上げに行こうとしたのに、叶わず、まさかのまた配膳会に入ることになって、また体調が悪化した私。しばらくして、退職も申し出ることにし、2ヶ月程の休養を経て、さらに過酷な状況へと生活環境は変わっていくのだった。

配膳会は私のようないろいろな環境に適応できないタイプはかなりストレスが大きいが、収入面はそれなりに頂ける。

それを失い、その頃はまだ生活保護という文字は私の頭の中にはなかったのだった。

私は、この後仕事を3つ掛け持ちすることになる。

①宅配便会社の本部での荷物の仕分け作業
②訪問介護員
③特養の介護職員

①荷物の仕分け作業

荷物の仕分け作業は本当にキツかった。初めてだということもあって、1日5時間のシフトを選んだのだが、その荷物というのが大部分がとても思いものばかりだったのだ。

ベルトコンベアの上に流れてくる荷物を自分の担当の番号がついていたらピッキングするというものだったのだが、ゴルフバックにスーツケースに、その他冊子などの束。。終わった頃には、私はすぐには帰らず(疲れすぎて帰れず)
ロッカールームの椅子に1時間座って休むのだった。

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