エモシ改変事件炎上録

取り扱うのはこの記事

この記事、多少の文章が誤解のされやすさを含むため、炎上している。

というのも、「確定死亡NPCを生存エンドを追加した」ということを問題視しつつ「改変可を拡大解釈した」という言葉が飛び出したため、TRPGプレイヤーとしては受け入れがたいものに映ったようだ。

実際、「シナリオの否定」が「確定死亡NPC生存エンド」にかかっているともいえるため、そこは遊ぶ側の自己裁量で自由であるべき聖域だとTRPGプレイヤーはかなりの数が一気に戦闘態勢に入ってしまった。

だが待って欲しい。

問題視されたKP側の所業を見てみよう

1.改変したシナリオをやると大々的に喧伝し公募(ネタバレ)

2.それを十数回繰り返す(改変した内容を広く認知させた)

3.追加エンドを「たどり着いて欲しい」とあたかも真ENDのように取り扱う(作品のテーマの否定)

…どうだろう?あまり褒められたものではないように見える。

確かにプレイヤーたちはより良いエンディングを求めるしKPはそれに応えたって良い(アドリブ・アレンジ)。ここを否定されたように受け取られたために炎上したように見える。

しかしながら、エンディングを追加して「たどり着くべきもの」と宣伝することで、作者のシナリオがまるで不完全のように見えないか。より良いエンディングはこうだと作者に向かって言っていることにはならないか。それは作者が「改変可というのはそういうことではない」と言った、シナリオの否定ではないか。

今回のコレを、エモシ(エモいシナリオ)作者の界隈特有の感性と片付ける意見も見かけた。しかし、アドリブの果てにたどり着いた偶然の産物ではなく、コレが真エンドでございと我が物顔で喧伝するかのような輩、如何様に扱えば良いものか?

アドリブというのはいわば卓のメンツの化学反応で導き出した結論、「この卓が出した答え」だが、一人の主催者の「ぼくのかんがえたただしいエンディング」なるものを指しはしないように思う。つまるところ、リスペクトに欠けている。

もちろん、シナリオの改変自体は、アリだろう。アドリブでなくてもいいと思う。卓のメンツに合わせてショッキングな要素を減らしたりだって私もする。でもそれは「その卓にとって最適なチューニング」であって作者の用意したものをないがしろにするつもりで用意しているわけではない。

今回の件、「シナリオ改変の拒否」に要約されすぎてはいないだろうか。

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