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依存なのか、家族愛なのか

元気印の娘の体調がよくない。部活を2日間も続けて早退してきた。その前の休日に、朝早くからMouseの夢の国に遊びに行っていたこともあったので、疲れだろうからとよく寝るように言っていた。が、その体調の悪さとともに、抱えていたものがポロリと口からこぼれたことがあった。

「また喧嘩したでしょ」と寝室のベッドで毛布にくるまりながらそう言われた。娘が大きくなるまで、親がけんかをするところは見せたことはなかった。多少のプンプンプリプリはあったが、冷たい空気感を家で醸し出すことはほとんどなかった。でも、今はもう隠しきれない…というか、すでに硬直感だだもれになっている。
「食卓を囲むのもつらかった」と泣きながら言われてしまった。

娘には、現在の経済状況は伝えていないが、もしかしたら兄から聞いているかもしれない。いや、きっと探っているだろう。兄妹ネットワークはなかなかのものだ。
子どもたちが幼稚園くらいの頃、2つ上の兄が嫌いなプチトマトをテーブルの下でそっと妹に手渡し、受け取ってさっと食べてしまうことがよくあったと、大きくなってから聞いた。小さいときから持ちつ持たれつ助け合ってきたようなことろがある兄妹なのだ。
息子の方にも具体的な借金の数字は言っていないので、どれくらいの大変さかはわからないと思っているのだが…。

夫婦の喧嘩は、本当に子どもたちに悲しい気持ちにさせてしまっていると思う。しかも、まだ収束しそうにない。

「借金さえなければ」という考えは、依存症の病気から目を背けているものかもしれない。夫のせいだと思ってばかりでは、こちらも腹が立つばかり。いっそ、私が共依存であると認めて、お互い様の境地に行けたりはしないものだろうかとも考える。私も夫に依存している、そう思う気持ちと、そうではないという気持ちが振り子のように行ったり来たりする。

依存なのか、家族愛なのか、どっちかというよりどちらにも重なっている。

娘には、(男性更年期という)病のせいで人格が変わったように見えるということを以前から話していたので、「病気だとしても、症状に腹が立つよね」と言い、夫が嫌いなのではなく、症状に腹を立てているのだと話をした。
病気を直そうとしないことにも、腹が立つ、ということも。

もしかしたら今が、離婚を考えているということを子どもたちに話すチャンスかもしれないと、ふと頭をよぎるけれど、自分自身の気持ちにまだ決心がついていない。
夫は、娘に自分のしでかしたギャンブルで借金を作ったことがバレたら、生きていられなくなるかもしれない。症状が悪化しそう。そして死んじゃうかも。

…そう思っていることが、共依存なのかもしれない。




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