草取りの哲学 その2
こんにちは。看護師・保育士紹介(準備中)アトラク熊本の斉藤でございます。
草取りは方法論として昨日書いてみて、俯瞰してみたところです。
さて、哲学とは…少し大袈裟かなと思いつつ。
庭の状態は、住む人を表す
そうです、庭がその住人を表すと思います。
思えば、私の育った祖父母の家は、祖父の趣味から大きな庭石に飾り灯籠の庭で、松の枝が低くしつらえてあり、石蕗が茂り姫椿のピンク色の花、大きな大山僕が大きな葉を落とし。梅の木は青い実を沢山つけ、家族総出で梅の実ちぎり。
とても綺麗に整備されていた和風庭園で、
そんなに広くはないのですが、昭和風に、家の周りは木の塀で囲い、外玄関はくぐり戸に作ってありました。(大きな扉に小さな扉が組み合わされている)。
家の入り口の玄関は普段使わず、裏口と縁側から出入りしていました。
滅多に使われないそんな玄関には、メジロが2〜3匹竹の籠に入れられて。ですから玄関はねり餌の匂いとで、鳥部屋みたいになっていました。
そんな玄関が掃除され、開かれる時は特別なお客様がある時。国鉄勤めだった祖父の交友関係も広かったようです。
嗚呼、懐かしい平和な昭和の風景。今は平成28年熊本地震で倒壊してしまい、今は思い出の中だけです。
それから私の両親が再婚して、新しい家へ。まさにそこは、「大草原の小さな家」。周囲は一面のセイタカアワダチソウ。
新興住宅地のはずれに、新しい父親が広い土地を買い、小さな真四角の鉄骨住宅になりました。
両親の開拓が始まり、庭全面に家庭菜園の畑となりました。
私の仕事は「庭の水撒き」。父親から徹底的に仕込まれました。
庭の畑は本格的で、里芋、じゃがいも、大根、ニンジン、さつまいも、ほうれん草、高菜、グリンピース、ラディッシュ、玉ねぎ、ネギ…。果物も、すもも、キウイ…。
もちろん食べきれずご近所さん達に配る配る。
私も友達を呼んで、畑の収穫を経験させられ…その時はとても嫌でしたが、採れたてのニンジンの甘さは忘れられないのです。
しかし、そんな父も亡くなり、今は雑草の中に一部分畑を作っています。
さて、私の家の庭はと言いますと。
少し前まで、雑草畑でした。
仕事をしながらの除草が間に合わず、業者さんに年1回〜2回やってもらってもすぐ生える、除草剤を撒くまたすぐ生える…その繰り返し。
もう、土があるのが苦痛でした。
どうして脱却したかと言うと、ご近所の町内清掃で、うちの庭を見たご近所さんが「こりゃいかんばい〜…」と絶句したことから、やっぱり恥ずかしい…と思い始めたのです。
例えば「冷蔵庫の中はその人の脳内を表す」と言われます。
正に、誰も呼べない。誰にも見せたくない庭。家の中も物に占領されていました。
それらのことが、私の心を鬱々とさせていたのです。
これではいけない!
一念発起して、全ての改革に取り組みました。
庭をはじめ、家、冷蔵庫…一気に変化してきました。
気持ちは庭に表れる。
周りから丸見えなんだ、と思うべし。
今朝もゴミ出しついでにちょこっと草取りしていたら、ご近所さんが「おはよう〜」と声をかけてくれました。
「お出かけですか〜?」
「仕事よ〜。最近歩いて行ってるの〜」
「それは良いですね〜」
「じゃあね〜」
なんて、素敵な1日の始まりになりました。
さて、今日も頑張りましょう♪
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