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依田紀基九段 1200勝達成!

2024年6月7日(金) 日本棋院所属の依田紀基九段が、通算1200勝目を獲得し日本棋院歴代12目の通算1200勝を達成した。

1.はじめに

平成、令和生まれの囲碁人の多くは以下の棋士は知っているだろう。

  • 一力 遼 棋聖・本因坊・天元

  • 井山 裕太 王座・十段・碁聖

  • 芝野 虎丸 名人

そして多くの若手棋士、中堅棋士そして女流棋士もご存じだろう。
現在の20~30代の若手・中堅の前世代では、

  • 張栩 九段

  • 山下敬吾 九段

  • 高尾紳路 九段

  • 河野 臨 九段

  • 羽根 直樹 九段

この棋士の名前をご存じの方は中々の囲碁通です。
そして、依田紀基 九段は張栩九段が台頭する前のトップ棋士だった方です。

2.依田元名人

1993年から2006年の13年間の七大タイトルホルダーの推移です。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の囲碁タイトル在位者一覧
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の囲碁タイトル在位者一覧

昭和のレジェンド棋士である趙治勲名誉名人・小林光一名誉棋聖が全盛期時に若手の筆頭として十段・碁聖・名人を獲得したのが依田紀基九段です。

当時は、趙治勲名誉名人の稼ぐだけ稼いでドカンと打ち込んで凌ぐ棋風と小林光一名誉棋聖の兎に角辛く稼ぎまくるという棋風が全体的に勝率が高い棋風だった。それが、若手筆頭の依田紀基九段のバランス模様型が2名のレジェンドに対抗した武宮正樹九段に続く2人目の棋士だった。

NHK杯でも通算5回優勝されており歴代2位の記録となっている。1位は坂田栄男の11回。

更に2006年には第7回農心杯で主将として出場して3連勝を飾り日本に初優勝を持ち帰る。昭和の中国・韓国の棋士からの当時の依田九段の評価は非常に高く、日本以上に中国・韓国囲碁界でも名前が通るトップ棋士です。

当時の依田紀基九段は、布石を広く大きく構え焦らず手厚く構えていた。その上で、相手が踏み込んできた瞬間に貯めていた力を発揮して相手の弱い石を睨みながらポイントを挙げる棋風だった。非常に計算能力が高く、半目差がみえたら一見踏み込みの温そうな1手でも確実に半目差を勝ち切る所に持ち味があった。
そのため、依田九段の囲碁は大きく崩れたり石の形がヨレルことは殆ど無かった。中盤過ぎの大きな戦いが終わった辺りからまるでAIの寄せのように必ず半目を残していた。
無冠になってからは、この僅か半目差で相手に勝利が渡る事が増えてしまったが、御年58歳になられても棋利と石の形が美しく大きく乱れる事の無い囲碁は、アマチュアが参考にして勉強なるだろう。

3.破天荒過ぎた依田元名人

昭和の後半にレジェンド趙治勲・小林光一を倒し、名人位を獲得した依田棋士は、現在の井山裕太・一力遼・芝野虎丸の3強棋士と同じ生き方をしていたら恐らく張栩九段が出現する前に七冠を制覇できるぐらいの実力がある若手棋士だった。

昭和初期~中期の囲碁界には、棋聖を六連覇した鬼才藤沢秀行名誉棋聖がいらした。藤沢秀行棋士は、昭和の囲碁界を代表するような元祖破天荒棋士だった。博打・酒・女に明け暮れ、タイトルを獲る時には常に借金に追われそれを解消するためにタイトルを獲得するような感じの方だった。

秀行名誉棋聖は、秀行塾という有望な若手棋士を集め、囲碁の指導をされていた。秀行塾には、高尾紳路・三村智保・倉橋正行という昭和後期の代表棋士がいる。その上で、合宿には依田紀基・結城聡・坂井秀至らも参加していた。

厳しい囲碁の修行時代に依田九段に強烈のインパクトを与え、依田九段の人生に少なからず影響を与えた人物が藤沢秀行名誉棋聖だった。

昭和初期~中期そして後期に至るまで、この秀行イズムの話がある。

博打・酒・女は芸の肥やし

昭和世代の有名な役者や政治家、芸能人、芸人、スポーツ選手の多くがこの有名な文言に表現されるような生き方をされていたと思う。

その昭和を代表するような考えを、囲碁だけでなく受け継いでしまったのが依田紀基九段です。依田先生の破天荒振りは書籍「どん底名人」を是非ご確認下さい。

4.囲碁は天才的だった

私が生まれてから色々な囲碁棋士と指導碁をご指導頂きましたが、自分が生れて初めて超一流の覇気を感じさせて頂いたのが依田元名人だった。

お酒の席で、一番手直りの早碁を打たせた頂いたのですが圧倒いう間に5子局まで落とされました。曲がりなりにも高校選手権で2度も全国大会に出場した自分が、タイトルを獲得する棋士にフルボッコにされました。しかも、先生はかなりお酒を嗜まれていて酔われていて、こちらはシラフで対局したにも関わらず。

©ヒカルの碁

ヒカルの碁に酔っぱらっている緒方精次名人にヒカルが藤原佐為に打って貰って青ざめるシーンは、私が好きなシーンの1つです。漫画の緒方名人のモデルは、タイトル数から恐らく依田元名人でしょう。

昭和の時代でも今の時代でも、七大タイトルを所持する棋士と対局するというのは、最低10万円以上掛かります。当時お酒の席とは言え数局お相手して頂いたという事は、お金に換算すると50万以上の価値ある指導を受けさせて頂いた事を意味します。その御恩は今でも忘れません。

色々な棋士とお会いして色々と指導碁を体験してきましたが、生まれて初めてタイトルを獲得する超一流の囲碁そして覇気というのを教えて頂きました。

5.晩年

依田先生が、原幸子先生とご結婚され3人のご子息に恵まれてましたが、博打癖が治らず原先生とご子息に相当苦労を掛けられたのは、囲碁界でも有名な話です。

現X( 旧twitter)において日本棋院執行部を痛烈に批判し、その結果当時のレジェンド杯のスポンサーが降りるという事態となり、昔仲の良かったBigBossの小林覚先生との関係も悪化してしまった。

更に脳梗塞を患い、生死を彷徨うまで所まで行く。ここ数年のリハビリにより各種対局に復帰できるまで復活した。
その間に、次男の依田大空さんがプロ棋士に入段された。

そして、すったもんだが有りつつもこうして、1200回勝利を成し遂げた。

6.依田九段と私

不思議なもので、私は依田先生一家と全員とご指導頂いています。
依田紀基九段、原幸子四段、ご長男、次男の依田大空初段と対局させて頂いています。

依田先生とは1局も勝てた記憶が有りません。原先生も確か勝てた記憶が有りません。その鬱憤を大会でご長男に晴らそうとしたら返り討ちにあい、次男の大空君だけには一死報いさせて頂きました。

気が付けば、あれから30年近く時間が経過しています。
依田先生をはじめとして原幸子先生そしてご子息との対局は、今でもボンヤリ記憶しています。自分の囲碁人生に彩りを与えて頂いた事に非常に感謝しています。

依田先生には、『依田ノート2~AI流』というのを執筆して欲しいです。

依田ノートは、アマチュア5級から四段前後の方が囲碁の基本を学ぶ上で非常に良著です。AI流の対応はされていませんが、この本1冊を繰り返り理解するだけでも相当棋力があがります。

7.最後に

依田先生と若い時代に囲碁で対局してくれたアマチュアファンは皆、依田先生の今の棋譜を見ています。これからも是非ファンのためにいきのいい若手を倒す名局を残し続けて下さい。

これからもお身体を大切に切れのある囲碁を楽しみにしています。


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