バス停での出来事
ここ2週間、通院時や帰宅時に利用するバスやタクシーの待ち時間の際に、違和感を感じた会話があったので、その辺りについて語ります。
私が利用しているバス停は、都内にも関わらず通勤及び帰宅時は除いて、バスの本数が田舎並に少ないです。利用している時間帯では、30分置きに一回と時間を間違うと最大30分の待ちぼうけを喰らう羽目になります。
遅れた時には、目的地に着くには徒歩での時間と同じぐらいの距離のため、天候が良い時にはなるべく歩くようにしています。
私は、この30分間隔のバスに乗り遅れたくないため、なるべく5分前にはバス停に着くようにしています。たまに10から15分前に着いた時には、体調によって歩き出す事もしばしばあります。
先日、いつも通り30分到着予定のバス停に5分前に到着しました。時間はゆっくりと経ち、気が付けば35分頃になっていました。30分置きのバスなので、5分から10分の遅延はざらにある事です。
その時、お年寄りの男性が後ろに並びました。そして、そのお年寄りがバス停に到着してから更に5分が経過しました。私は、今日のバス遅れているなと思いながら、目線を目の前の風景を感じていました。
すると、お年寄りの男性が私に声を掛けてきました。
「30分のバスはもう来ませんでしたか?」
人の優しい読者の方々であれば、「遅れているみたいですね」と優しい笑顔で、返答をしている事でしょう。
その時の私の返答は、ロボットのようにニコリともせず仏面顔で「知りません」と返答しました。
私はこのような事実を正確に応えられない回答を求める質問者が大嫌いです。自分は、25分には着いていますが、30分到着のバスが遅延しているのか、それとも、飛ばし屋の運転手で既に先に行ってしまったかは正確には答えられません。
その回答を正確に応えられるのは、バスの運転手でしか有りません。
到着したバスの運転手に対して、「これは、15時30分到着の予定のバスですか?」という質問であれば、運転手のYes,Noで正確な事実が求められます。
私も含めてその他第3者にそのような質問をしても正確な回答は得られません。
年配者がバス到着時間より5分遅れた事が不安になり、目の前にいる太ったおっちゃんが15時30分のバスを待っているか、それとも16時00分のバスの到着を待っているのかわからなかったのだろう。
第3者がどちらかでも、その当人に対する行動や判断には全く関係の無い事です。結局目的地までにバスを利用したいと思うならば、15時30分到着予定でも16時00分到着予定でも、待つか待たないかの2択の話です。
それは、自分の経験と状況判断で自分の意志で行動を決めることです。
もし、急ぎの用事で目的地に15時30分到着予定のバスに乗車しなければならない場合には、タクシーを拾う行動をしたり、無線でタクシーを呼んだり、気合いをいれて走らなければならない。または、目的地の場所の関係者に電話して、遅れる主旨を伝える必要があるでしょう。
・・・
結局、人に安易に質問して、正確な事実を回答者が返答できない質問をしようとする人は愚人です。自分の心の安らぎを第3者の返答に求めてはいけないと思う。
ダークな私は、次のような鬼返答が頭によぎってしまった。
「お前さ、何様だよ。自己中過ぎだろ。年寄りだからって常に優しく扱われると思って、甘ったれるなよ。
第3者の知らない人の意見で自分の意志決定、状況判断をして大勢の人達についていく、そんな行動が今の日本を作り出しており、考える事を放棄した猿のような行動は慎め。
自分の安心感を得ようとする行為の馬鹿さ加減を考えろ。そのような貴様はオレオレ詐欺の恰好のターゲットだぞ、気を付けろ。
もう少ししっかりしろ。貴殿ら、年寄りを守るために日本人の現役世代がどれだけ苦労しているんだゴラッア!」
実は、このような事はここ2週間で2回も起きている。大体65歳過ぎの昭和初期生まれの人達です。年老いたというのは、関係ありません。高齢者になってもしっかりした人達は、このような意味の無い質問はしてきません。
電車などで、ダイヤの乱れがあり、行列が長い時に時間の目安にするために「すいません。どれくらい待たれていますか?」という質問の仕方は有りでしょう。これは、回答者が何分と回答しても事実を正確に応えられるからです。
私は、お年寄りが嫌いな訳ではない。世代関係無く自己中心的な言動が見受けられる人とは関わりたくないだけだ。
きっとお優しい方は、自分にとって労力になるかどうかは置いといて、今回のような場合には、お年寄りの心に寄り添い、何かしらの日常会話をして安心させて体調を気遣い相手にとって幸せだと思うちょっとした時間を与えるのでしょう。
私は残念ながら、相手の表情からその人の人格を判断し、人徳者だと思えばできる限りの相手に対する行動を取ろうとするのですが、その逆の場合には、ドライな対応をみせています。
私は本当に分かり易い人間で、自分が相手に尊敬の念を持っている場合には、笑顔と敬意で接するのだが、その逆には、ぶっきらぼうな対応をしてしまう。
自分は賢者ではないので、自分の価値感と感性に共鳴する人と時間を共有したいだけです。
長くなりましたが、ここ数か月でこのようなちょっとした日常から、人の心理を感じたり、言動を深く考えさせられる小さな出来事があります。
次回の日常の出来事は、「タクシーの乗車場所にてAV女優に会った?」をお送りいたします。
一読有難うございました。
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