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「誰の苦しみが1番深い」なんて無い


noteってすごい文章が上手な人がワンサカいて
気後れしちゃったり、こんな文章でいいのかいな?と
思ってしまったりしていませんか?

最近始めたばかりのnote、
本当に心に響く言葉や文章に出会えることが多く、
読みながら涙したり、逆に誰かの喜びや嬉しい気持ち、
幸せな気持ちに私もワクワクしたり、ウキウキしたり、
クククと笑ったり。

何より自分の人生には起きていない出来事や、
読んでいて辛くて悲しい、苦しい出来事が、会ったことはない、
けれども実際に起きている出来事として綴られていて
上手く言葉にできないのだけれど、いろんな事を考えさせられる。

そんな中でふと思ったこと。

文章が上手な人の悲しみは心にストレートに響く。
いっぱいスキがついたりして、コメントも沢山書かれていたりする。
でもね、それと悲しみの深さは違うよ。
違って当たり前。
誰もが苦しんで、誰もが悲しい。
誰かの悲しみが1番で、貴女の悲しみは悲しみではない訳じゃない。

吐き出していいんだよ。自分なりの拙い言葉だっていいんだよ。
誰かのためじゃなくて、自分の為でいいんだよ。
書くという行為、それだけで気持ちが軽くなることも、
風が吹くこともある。
自分が納得いくまで、何回だって書けばいいんだよ。

私みたいにそこそこいい年齢になってしまうと
そんな事も気にしないで書けてしまうようなことも、
気にして書けなくなっちゃってる人がいるんじゃないかなって
ちょっと気になっちゃったので。

上手く言えないんだけど、若い人なのかな?
心が優しすぎる人なのかな?
気にし過ぎちゃう人なのかな?
そういう人に伝えたい。


「ああ、この人の苦労や悲しみに比べたら、私なんて」
って思わなくっていいんだよ。
貴女の悲しみは貴女の悲しみなんだから。


あんまりにも上手な文章の人ばかりを目にして、
ここんとこ、ちょっと気になったので。


頑張っていこうゼ、、、と締め方も分からず、言ってみる(笑)。

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