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老人と海と私


「どんな本が好きですか?」と聞かれると
実はあまり読書家ではない自分がバレてしまう。

好きな作家さんはいるけれど、全部読まないと気が済まないというほどではない。話題のベストセラーを読みたいタイプでもないし。正直、ここんとこはすっかり読書というものから遠ざかっている。
理由はいくつかあるがそれはさておき、noteを始めて色んな方の文章を読ませてもらっていると、自分の言葉の表現の範囲が乏しいことや文章をまとめる力がないことを痛感する。読書の量と表現の豊かさは比例する。恐らくそうであろう。そうは言ってもこうして今も書いているのだから、全く厚顔無恥としか言いようがない。

東京時代の方がなんとなく、読みたい本を読んでいた。ただ私の読書の時間は決まって「お風呂の時間」だった。風呂に持ち込む、、、ということは、本には申し訳ないけれど、ふやけてボロボロになる。なので扱いはぞんざいだ。(本を大事にしている人には本当に申し訳ない)
近所に4冊100円という、破格の値段で新刊も含めて買えるお店があって(障害を持った人や、それに取り組む人たちがやっているリサイクルのお店で、きっと寄付で入ってくる新刊もあったのだと思う)そこでよく新刊、古本問わず本を購入しては読み潰していた。ただ人には絶対に貸せないような状態に変化してしまった本でも、大事な本は何度も繰り返し繰り返し読んで、今も数少ない本棚に積み重なっている。



ある時、「人に聞かれてかっこよく思われる本は?」と思って
何個かの外国の作家の名作を読んでみた。全くアホな発想ではあるが、いつもと違うジャンルを読んでみようと思ったのだった。

アルベール・カミュの『異邦人』
ドストエフスキーの『罪と罰』
ヘミングウェイの『老人と海』などなど、、、。

ついでに日本文学も
宮沢賢治、中原中也、高村光太郎、などなど、、、。

一応、全部読んだ。どんなにつまらなくても、どんなに読むスピードが落ちていっても、とにかく読み切ろうと思って読んでいた。正直、さっぱり頭に入っていかないものもあったし、素敵で深くて理解したい(とにかくイメージが)と思っていても、どうしても「?」っとなってしまう本もあった。

そんな中で
『老人と海』、この本だけはなぜか大好きになった。

鎖骨の下辺りに手のひらを横にして当てた場所がくっとする。
何度も何度も、本当に何度も読んだおかげで、この本を開くと私の脳内にはある映像が流れてくる。勝手に「脳内で映画化」されているのだ。
この本の感想を、思ったことを書くことが出来ない私の表現力のなさを許して欲しい。「ここに感動した」とか「ここが良かった」などと、一言では言えない。

ただ、読むたびに新しい発見がある。それとこれを読んでから、綺麗事や感動や賛美とかじゃなく、ある意味での「人生ってこんなものだろ」的な、それが悲しいとか辛いとかじゃなく、その人の持つ気持ちや誇りや意地や経験や、それがいつも成功に導かれるわけじゃないけれど、「それも人生だろ」って言われているような、そんな気持ちになって、これまた変な言い方だけれど、フラットな気持ちというか、ちょっと安心感を覚えた。

きっと「老人と海」を読んだ感想(断じていうけど、私のこれは感想文ではない)としては、余りにも酷いものだということは自分でも分かっている。

私の脳内で映画化されたこの話を上映しても、全くつまらない映画となるだろう。それは大袈裟なアクション映画でもないし、感動のフィナーレを迎える壮大なストーリーでもない(あくまでも私の場合)。
途中カジキとの戦いと帰ってくるシーンは少しは迫力があるにせよ、全体的にはとても静かでちょっと陰気な映画となるだろう。でも、そこに私は「何か」を感じているのだと思う。


実は「他の人は何を思った?」と思って、ググりました。感想を。
うぅーーん、そうか、まぁ、そう言うよな。というものが多かった。
でもね、最近の私はこう思うんです。
「人と違った感想でもいいじゃない」って。
読むたびに変わったり、違うことを思ったり、同じことを思ったり、人は変化するし、それに「同じじゃなくてもいい」って思うんです。
どちらも「感じたこと」だから、間違いじゃないでしょ?って。

人と何かを共有するのって楽しいけれど、違ったときには「私はこう思ったよ」って上手に伝えて、それで「ああ、そういう見方も出来るのね」「気が付かせてくれてありがとう」これで良いんじゃね?って思うんです。
リアルでもこのnoteでも。



・・・完全に方向がずれたような、、、。



もし「老人と海」が好きな人がいらっしゃったら
是非感想をお聞かせ願いたい。








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