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余計なことをする楽しみ方



最近気がついたこと。
私には「余白」が足りなかったのではないかということ。

昔から
「何か1つ願いを叶えたかったら何かを犠牲にしなくてはならない」
と強く思い込んでいたところがある。
若ければ若いほどそうだった。



昨年までは仕事のことをいっぱい考えていた。
自営業の私は時間があれば少しでも仕事を片付けたい、、、
そう思っていた。
とにかく在庫が切れないように、数多く製作できるように
そう思って必死に作っていた。

そのことばかりに一生懸命になって
今思えばいろんなことが見えていなかった。

ある日、左手首の異変に気が付いた。どうも痛い。
ミシンの使い過ぎだった。
腕ミシンという、ちょっと特殊なミシンを使っている。
平ミシンじゃないので、常に縫うものを左手で持つ。
料理で鍋を持つのも痛い。服を着るのも痛い。寝るときも痛い。
通常の生活でも支障が出てしまった。
このまま、痛いままだったらどうしよう。
仕事ができなくなったらどうしよう。

取り敢えず病院に行き、注射を打った。
驚くほどすぐに痛くなくなった。
ただ、ネットで調べてみるとぶり返す人も多いと書かれていた。
困る、それだけは困る。

とにかくミシンや仕事で手を使う時間を減らした。
金属の入ったサポーターを購入して、
しばらくの間、極力動かないように固定することによって
通常の使い方を控えることに徹した。

注射を打って暫くは痛みが消えたけれど
少しずつまた痛みを感じるようになった。
これじゃいけない。注射も効かなくなることがあって
その場合は手術になるとのこと。
怖いなぁ。

ネットで調べて、良さそうなことを試しながら
「痛みが出なくなるまで」仕事をセーブしたり、
サポーターを付けたり、外したり、マッサージしたり、
手抜きの料理でしのいだり。

そういう日々と、イレギュラーな出来事もあって
ここ数年の日常生活習慣に少し変化が生まれた。
そんな中で少しずつ気が付いたのが「私の余白の狭さ」だった。


私はいつも何かに気がつくまでに時間がかかる。
自分でもイヤになっちゃうほどの。

私には「余白」が足りなかった。
何かを楽しむ気持ちも余裕も。

観葉植物を購入して、目を掛ける。
ゆっくりと個々の植物の成長を見ながら手を掛ける。

気になった事を時間を割いて片付ける。
一度にできなくても少しずつ。
床を磨く。カーペットを丁寧に掃除する。
毎晩シンクの周りは必ずきれいに片付ける。

趣味で写真を撮る。
自ら撮影したいものを探して、イメージを膨らめて、照明を当てて、
撮りたいイメージに近づける。
画像処理をして英語に翻訳してキャプションを付けてインスタに上げる。

こうしてnoteで文字を打つ。
自分の思うことや感じた事を文字にする。
他人様の気持ちや生き方や考え方、大事にしているものを共有させてもらう。


正直に言えば仕事のペースは落ちている。
世の中の激変は間違いなく私たちの仕事にも大きく影響して、
売上も下がっている。
でもちょうど良かったと言えば、そうかもしれない。
何でも時間の掛かる私にはこのくらいの猶予がなければ
気が付かなかったかもしれないから。


これからは少しずつ、いろんなペースを考えて配分して、再構築して、
自分の楽しみ方をもっと見つけながら、仕事についても
もう少し欲張ってみたいなという気持ちに今はなっている。

生きているといろんなことがあるなぁ〜とつくづく思う。






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