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思ったままを声に出せばいいってもんじゃないけどね


そう思うことがよくある。
それが自分も同類だということもあるかも知れない
ということを含めたとしても。

きっと多くの人は言いたいことがあっても、グッと飲み込んだりしてるだろう。飲み込んだほうがいいものとそうじゃないものがあると思うのは私の主観でしかないけれど、飲み込むか飲み込まないかは自分次第という、これまた他人とは違う、個々のその感覚はどう推し計らったら良いのだろうか。

それがいとも簡単に たかが外れる のがネットの世界。目にしただけでもめんどくせーなと思うような、そんな言葉を敢えて書き綴って、常に誰かに食ってかかっているような姿勢を垣間見ると、ストレートな言い方を敢えてすれば不愉快な気持ちになる。

少し前までの私はそういうのを見ても「ああ、この人はきっと何か別の理由があってこんなふうなのかな」とか思っていた。気が付いてないだけで、そうしたくてそうしているんじゃないと。ちゃんとそこには理由があって、そうしているのだと。でも最近はそう思うことは間違いなのではと思い始めてる。その人にとってそれは「普通」で、誰かと争いたい人、誰かにキツい物言いをするのが好きな人、そういう人なんだと思った方が、私の中にはストンと落ちる。

こんな歳になっても(私がね)どこか「皆んな平和が好き」とか思ってたけど、それは「皆んなじゃない」みたいな。優しいとか嬉しいとかありがとうとか、そういうもののほうが心地よいと思っているのは私で(勿論私以外にも多数いるけれど)、そうじゃない人達も存在してて、大きく世の中を見たってそれは紛れもない現実で。

みんなが同じ気持ちでしかないとか、同じ考え方である必要はなく、違いがあるからこそ、変化や進化があって、そう思えばまぁ仕方がないことなのかもしれないけれど、言いたい放題(に見える)言葉を連ねている人を見ると、その心持ちはとても辛いものではないのか?と思い憚るのだけれど、ああ、こういう人にそういう心配は要らぬのね、と思い直して、出来るだけ距離を取るようにしている。どうしたって相容れないからね。難しいね。

物事の考え方が常に逆回転の人がいて、でもそれは「私から見たら逆回転」なだけで、その人達にとってはそれは「正回転」なのだろうか。ああ、今気が付いちゃったけど、そういうことなんだろうな。そうか、そうか。そういうことか。

あんまり視野狭く突き詰めると放り出したくなるから程々で。
具体的な言葉や言い回しを使わないと「それって私のこと?」って思う人が出てきそうで、こういう日々感じた事を言葉にするのにブレーキが掛かる。創作の小説や、心温まるエッセイや、日々への感謝が多いnoteの世界(というのは私のフォローさせてもらってる人の世界)において、敢えて放らなくてもね、、、と思うところは満載なんだけど、noteの中にも「逆回転」は存在している。自分の安全圏は自分でしか守れない。いろんな人がいるんだということを知っておくのは私にとってはとっても重要。

こういう内容の記事を書くことが久々過ぎて、だいぶいつもとは違う脳みそを使っている気がする。最初の頃はよく書いてたのにな。状況や環境が変わってくると、何事も変化してくる、、、っていうのも世の常、我の常。


だいぶ長文の、久々に書いてみた『最近思うこと』。(覚書)
半端な文章でごめんなさい。











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