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35 桜 (4)


いろんな事が初めてで、分からないことも多かったが、拙い言葉でも必死に話せば相手は丁寧に教えてくれる事が分かった。死が迫っているからなのか、本当に人が親切だと感じた。

なかなかセカンドオピニオンの紹介状が手に入らなかった。
父も母も主治医の先生をとても気に入っていて、いい先生に出会えて良かったと言っていたけれど、私はこの優しすぎる先生が少し苦手だった。
ストレートな言葉が全く無く、焦っている私には少々じれったかった。
ネットでも紹介状は時間が掛かる場合があると書かれていたけれど、私には時間がない。自分都合の自分勝手は充分承知していた。紹介状が手に入って、希望の病院で希望の先生に診ていただくためにはスケジュールも抑えなくてはいけない。東京の病院だったので、父を連れて行くことは断念し、私が行くことにした。今思えば私の気休めだったのかもしれない。もっと死に向き合うべきだったのかもしれない。でも諦めきれなかった。


余りにも遅すぎると思ったので、病院に連絡をして主治医の先生に会いたいと、紹介状をいただきたいと連絡を入れた。
「何時になるか分からないが、今日中に、、、」と言っていただいて、病院の一室に案内された。その部屋は応接室のような部屋で、小さな窓がついていた。古びたソファーと机があって、最初はここに座り、聞きたいことをまとめたノートを繰り返し読み、足りない箇所を補充した。何日も待ったこのチャンス。抜かりなく全てやり遂げろ。そんな風に意気込んでいたが、流石にいつ来るか分からない先生を待つというのは、なかなか厳しかった。トイレに行くタイミングも気にして、忙しい先生を逃してなるものかとただただひたすら待つことにした。
2時間が過ぎた頃、張り詰めていた私の気持ちが緩み始めた。

、、、もったいなくね?この時間。

そう思った私はソファーに横になった。靴を脱いで、着ていたコートを毛布がわりに掛け、寝てしまえ、と。
ここんとこ、寝不足だし、考えていると不安で頭もグルグルするし、パソコンは使えないし、寝るしかないじゃんねと。


すっかり爆睡した。ガチャっとドアが空いて、目覚めは先生の声だった。最終的には4時間も待った。先生からすると私に会うのは2度目で最初の病状説明の時に余りにも私が内容を理解していて驚いたとのこと。さぞかしソファーで爆睡しているとは、なんと肝っ玉の大きなやつだと思ったに違いない。いやいや、そこではなく、いつ来るかも分からない、あとどのくらい待てばいいのかも分からない状況で、最終的に4時間も待てる私を褒めて欲しいと思った。この時の私の仕事はあきらかに「待つこと」だった。この何もない部屋で。

紹介状の入った封筒をもらって、病院を退院したいという父の希望や、今の状況を父に伝える伝えない、先生の方針、いろんなことを聞いたはずだが、何ひとつピンとこなかった。何も「こうしたらいい」というような助言がなかった。どれもなんか「かわされている」と言った感じで、欲しい答えも参考になりそうなことも、なにひとつもらえなかった。私自身もどう判断していいか分からず、結局ただ待って紹介状をもらっただけになった。


長時間寝たはずなのに、かえってぐったりして、最後にまた父の顔を見てから家路についた。さあ、とにかく今は気持ちを切り替えてセカンドオピニオンの日程を立てようと。


父や母は時々訳の分からないことを言った。「同じ病室の人も同じ状況で手術ができなかったんだって。管から漏れちゃって、溢れちゃうから無理なんだって。よくある事らしいよ」
・・・は?・・え?なんの話よ、それってどういうこと?
管ってカテーテルのことか?
漏れちゃうとか溢れちゃうというのは何が?
聞いてもその答えは出てこない。
ただ「よくあることらしい」、この言葉で終了する。
それがとにかく腹立たしかった。何故よくあることなら安心するのか。何故分からないことを分からないままにするのか、何故医者に聞かないのか。父には怒れずに、母には何度も言った。
「分からないのは悪いことじゃないから、ちゃんと分からないことは分からないと言え」「状況が分からないのに、自分の憶測でものを言うのはやめてくれ」
正直、本当に参った。分からないことは悪いことじゃない。分からないことを分からないままにして、曖昧なまま、人に伝えることが悪いことなんだと何度も繰り返し、母には言い聞かせた。

ただ、この時の母も一生懸命だったのはよく分かっていた。母は父が大好きだった。辛いだろうし、不安だろうし、怖いだろう。時々やらかす「ドタキャン」や、言った、言わないレベルの事には目を瞑ることにした。
ただ、この父の件で母の違った一面を見た気がした。臆病なところや自分に責任がないように振る舞うところ。
嫌いじゃない。駄目じゃない。
ただ普通に「母」という普通名詞を外したら、そういう人なんだなと強く感じた。



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