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35 桜 (5)


セカンドオピニオンはがん研有明病院に行った。
東京での僅かな日にちの中で必死に調べたときから決めていた。
この病院のこの先生に診て欲しい。
そう思って紹介状を手に入れて、直ぐにその先生に診ていただけるよう、病院に電話してスケジュールの予約を入れた。
ラッキーなことに、そんなに遠くない日に診ていただけることが決まった。

本当であれば、もっと早くにこの病院で診てほしかった。
いや、私の単なる希望だ。
まだ父の体力があったうちに、去年の10月頃ならどうだった?
まだ年始明けでも間に合った?

そんなことを思いながらその日を待った。





がん研有明病院には相方と行った。
この病院でもひたすら待った。とにかくこの時期、私にとって「待つ」という行為は普通のこととなっていた。綺麗な大きな病院で、私達は午後からずっと待って、最終的に自分たちの順番が来たのは夕方の6時半過ぎくらいだった。

結果は思わしいものではなかった。今思うと、きっと私の知らない情報もその紹介状には書かれていたのだと思う。
細かな血液検査の結果や心臓が弱まっていることなど、私は知らなかった。もう手術ができる状態ではなかった。
私が信頼していた先生は私の願うような言葉は返してくれなかったけれど、何故もう父の命があと僅かなのか、また今後の私達が気をつけなければならない点などを教えてくれた。
私はこれまでだって我儘が言いたいわけでも、聞き分けがないわけでもなかった。死についてはどちらかといえばドライな考え方かもしれない。
既に肺に転移していたので、もし吐血した場合に素手でその血液に触らないように、そういう対処は家では難しいから、もし家にいた場合は十分気をつけるように。
そうか、こんなことが待ち受けているかもしれないんだと、怖くなった。
主治医の先生は何も言ってくれなかったから。


すっかり暗くなった夜の有明で、私は泣くことはなかった。
この頃の私はちょっと感覚が研ぎ澄まされていたというか、通常の自分ではなかったので、ものすごく濃く記憶に残っていることがとても多いのだが、この時の有明の夜の碧の色を忘れない。
透明で無機質でシャンとしていて、それでいてどこか柔い。
そんな空気感だった。


さあ、向き合おう。父の最期と。そう思えた。
でもなんとか少しでも長く生きてほしくて、帰省してすぐに届いていたフコイダン療法のサプリやエキスを、もっとちゃんと飲んでもらわなくては、、と、もう他に縋るものがなかった。


が、父は自分の状況を知らない。
真面目な父は主治医が出した沢山の量の薬に参っていた。
これを飲むことが正義かのように、そのくらい必死に飲んでいた。
そこに私が持ってきた、漢方やけっして飲みやすいとは言えないフコイダン療法のサプリやエキスを飲んでくれと頼んでも、良い顔をしなかった。
何回か飲んで「これ、飲みたくない。先生の出してくれた薬でお腹が膨れて、こんなの飲めないよ」と言われてしまった。
本当は父にちゃんと今の状況を説明したかった。
お父さんは余命1ヶ月なんだよ、もう手術も出来ないんだよと。
そうしたらきっと、もっと私の話を聞いてくれたんじゃないかと。
主治医は言わない、母も言えない。私は、、、。
私が言うか、言わないか。
母は言わないほうがいいという。勿論、性格もあるだろう。
父のようなタイプはそうかもしれないと、母は考えたのだろう。
私に、父に真実を伝える勇気はあるのだろうか?
どうしよう、何が正解なんだろう。
ここからは何日も、もどかしい気持ちの日々が続いた。


私ががん研有明病院から戻って数日後、父は退院したいと言って、主治医の先生から承諾を得た。主治医の先生に会ってもう一度話が聞きたい、そう思ってなんとか話を聞くことが出来た。
その際に言われたことが「今回退院されて、もしまた病状が悪くなった場合でも戻ってきていただくわけにはいきません」というような内容だった。
お父様の希望だから退院させるのだと。

んんんーーーーー、そうか。
そうだけど、私、この病気のプロじゃないし、こういう経験も初めてなんだよね。知らねーんだよ、人が病気で死んでいく時のこととか、状況とか。
想像もつかないんだよ。でも起きるんだよ、これから。
で、何のアドバイスもないんかよ、病院てーのは。

言葉は悪いけどそんな風に思った。突き放されたような気持ち。
ひとりで頭がぐるっぐるして、なんとか食い下がって
「もし分からないことや、相談があればまた先生に連絡させて欲しい」と
お願いだけして、父を退院させることにした。



父が病院を退院した4月19日。
私が父を迎えに行った。父は病院でお風呂に入っていた。
すごく待った。
なんて長い風呂なんだ、、、と思ったが、きっともう体力的にキツかったんじゃないかと思う。ただ、それでも、そうであっても小綺麗にしていたい、それが父なのだ。分かっているだけに半分笑っちゃって、半分泣きそうになった。いや、笑顔で退院しよう。そう思ってとにかく待つことにした。

お風呂から出て、荷物を持って現れた父は、かなり病人だった。
余命まであと半月、、、。辛そうだったが、それでもお世話になった看護師さんと軽く冗談を言ったりして、挨拶をして病院の外に出た。

「昨日、山の方は雪が降ったんだよ」そんな話をした。
遠くの山に雪の白が綺麗だった。父の好きな景色だ。
足元がちょっと危なっかしかったので、父の近くに寄り添うと、
嗅いだことのない嫌な匂いがした。私は勝手に「癌の匂い」だと思った。
それが憎らしかった。
匂いが憎らしいという表現はおかしいのだけれど
この匂いを私は忘れることはない。


タクシーに乗って家へと向かう。
近所の山肌に山桜がいち早く咲いていた。
父に「あ、いつもの山桜が咲いてるよ」というと、窓から眺めて綺麗だね、いい時期に帰ってきたな~と言った。とても和やかな時間だった。
弱っている父がまだ、これから来る本当の苦しみから少しだけ手前にいる、最後の時間だったと思う。
こんなタイミングでたまたま家の玄関扉が壊れて、父を連れて庭から家に入った。縁側に座った父は「やっぱり家は良いなぁ~」と言って、3人でしばらくお茶を飲んだ。


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