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35 桜 (8)


父は苦しい中で私に「なんで、なんで」と何度も言った。
おそらく「なんで俺は今、こんな状態なのか?」と
その説明を私に求めているのだろうなと思った。
言えるわけもなかった。ここまできて。

もっと早くに、病気になる前から、父と死について話をしていたり、父がもっとそういう人なら、私だって最初から話したかった。
でも言えなかった。私は聞かれるたびに「お父さんがベッドを嫌がるから、病院の皆さんがこうしてマットを敷いたお部屋に移してくれたんだよ~」と極力明るい声で繰り返し言った。聞かれるたびに言い方を少し変え、全く同じ内容を繰り返し、繰り返し。
悔しい気持ちで涙が出たが、父には見えないように泣いた。
喉が乾いている父の口に氷をいれて、あとは話しかけながら、ずーっとずーっと擦り続けた。


看護師さんがとても明るい声で励まし続けてくれた。
少しでも父の苦痛を和らげようと、本当によくしてくださった。
私はただただ、その看護師さんたちの姿勢を真似ていた。
父はまるでお釈迦様のように横たわり、その周りに私達がいる状態だった。



途中で父が髭を剃って欲しいと言い出した。

え?今?

困ったことを言うなぁ~と思っていたら、看護師さんたちは少しも嫌がらずにすぐに髭剃りを持ってきてくださった。
電気カミソリで父の髭を剃ろうとした看護師さんに父は「電気カミソリは嫌だ」と弱々しい声で言って顔を背けた。ここまできても、やっぱり電気カミソリが嫌なんだなと笑ってしまった。
そうか、そうだよね。お父さんは肌が敏感だから、電気カミソリは使わないものね、などと言いながら、T字のカミソリとシェービングフォームを持ってきていただいて、看護師さんに髭を剃ってもらった。
尿道カテーテルを付けて、本当に苦しくて、体全身で息をしているような状態の父。きっとこの頃には自分の最期に気付き始めたのかもしれない。さっき深澤さんに会った時、自分が髭を剃っていないことが嫌だったのだろう。だからこれから来る人達に会う前に、綺麗な顔で、、、と髭を剃りたかったのだろうか。
全く父らしいエピソードだ。


先生は何度も様子を見に来てくださり、時々注射を打ってくれた。
次々と親戚は来たが、なかなか弟と婚約者が来なかった。父は殆ど目を瞑り、私たちは手を休めることなく擦り続けた。
先生が小声で私に「心臓がだいぶ弱まってきています。楽になる注射をしましょうか?」と言ったが、私はもう少しだけ待ってくださいとお願いした。


やっと弟たちが到着し、弟も婚約者の子も父の周りに来て、一生懸命話しかけた。氷を口に入れたり、一緒にさすったり、父に触れ、頑張っている父に会えた。

しばらくして少しだけ、父の苦しい感じが治まってきたように感じた。親戚も帰り、シフト交代の看護師さんも帰る際には顔を出して、皆、父に声を掛けてくださった。「Hさん、またね。明日会おうね」と。
夜8:30頃になり、姉夫婦や叔母も家に帰っていった。



病院には母と私と弟たちの4人が残ることにした。
今夜はここに泊まろうと決めていた。昼もろくに食べていなかった母と私は買ってきてもらったお弁当を食べようとしていたところ、父が私に言った。


「もう楽になる薬、やってもいいかな もう頑張らなくてもいいかな」


あーーーーーーーーーー

「ごめん、ごめんね。そうだよね。
私が弟たちが来るまでって、頑張ってって言ったんだよね。
本当にごめんね、ありがとうね。頑張ってくれて。
うん、いいよ。そうだね、私、先生にお願いしに行ってくるね。」

そう父に言った。父にはちゃんと聞こえていた。
夕方、先生が言った「楽になる注射」のことを。


・・・・
前の病院に見舞いに行った際、2人きりの時に父は私に
「ちゃんと病気と闘っている姿を、子供たちに見せたい」というようなことを言ったことがある。急な発言だったことと、私もどう返していいか分からずに、「うん、そっか。分かった」とだけ、返事をしたと思う。

当時、私は分からなかったのだが、もしかしたら父は自分の状況を薄々気が付いていたのかも知れないと、何年も経った今は思ったりする。
どうであっても、過ぎてしまったことを変えることは出来ない。
・・・・


先生にお願いして、注射を打ってもらった。

これで楽になって、少し眠れるかも知れませんと言われ、
父の苦しそうな呼吸が少し落ち着いたので、今のうちにお腹に入れてしまおうと、母と休憩室でお弁当を食べ始めた。
5分くらい経って、慌てた様子の弟に呼ばれて駆けつけると、
最期の父の息が少し荒くなった。
先生が「最後まで耳は聞こえていますよ」とおっしゃって、
みんなで声を掛けた。
私は「お父さん、ありがとう。本当にありがとうね、またね、また会おうね。」と言った。

父は大きく2度、深い息をして、そしてこの世を去った。



やってしまった、、、
最後の注射の後、今までで1番、安らかなお父さんを見て、少し安心して弁当なんて食べに行っちゃったよ。
ずっと苦しそうだったのに、ここんとこ、全然寝れていなかったのに、1番スヤスヤと気持ちよさそうな顔し出したから、すっかり気が緩んじゃったよ・・・
本当にそんな気持ちだった。
私以上に弟の婚約者が気が狂ったように泣き出し、私はお陰で少し冷静だった。


姉や叔母に電話を入れ、暫くの間、父のそばにいて、やっと苦しみから開放された顔を見ていた。本当に静かな顔をしていた。
正直、この後のことはあまりよく覚えていない。

父は病院で一晩、過ごすことになった。
叔母や姉たちが到着し、父にお別れをいい、私達は家に帰った。
私は殆ど放心状態だったと思う。悲しいからとか、辛いからとかではなく、私の体力と気力も限界だった。もう、この何週間のような日々は終わったんだ、、、と思うと、一気に現実に戻されたような、そんな気持ちになった。パンパンに張り詰めていたものが、弾けるのではなく、スーーーッっと空気が抜けるような、そんな感じ。

目を閉じると父の最期の言葉が頭から離れなくてなかなか寝付けなかった。私の判断は正しかったのかな、父は辛かったかな、悪かったな、最後まで頑張らせちゃって、、、といつまでもいつまでも、布団の中で泣いていた。




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