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自分で淹れた珈琲は飲まない

朝、当たり前のように飲んでいる一杯の珈琲がある。当たり前になり過ぎて、日々感謝とか、この時間が至福の時なんて思うことはなく、そこに牛乳を足して飲む。朝の始まり。これが私の何十年もの習慣になっている。

ひとり暮らしを始めた時にはコーヒーメーカーを買った。時々は自分で淹れていたのだと思う。私は牛乳は苦手なので、料理で使うのと、コーヒーを飲む時以外は牛乳を必要としない。丁寧にドリップで淹れるという行為も、その素敵さも、本来の私は持ち合わせていない。

相方は頭痛持ちで、これが結構な頭痛で。酷い時には2日ほど寝込む。吐くレベルにない時はお腹は普通に減るようなのでご飯は一緒に食べるが、とにかく起きているのが辛いのでひたすら自分の部屋で寝ているしかない。
私は私でぽっかりと、普段の日常の予定に多少の変更が生じはするが、やることはいくらでもあるので、なるべく静かに音の出ないことをマイペースで行う。

今日はそんな日。

朝起きてきたら、いつもの珈琲は無かった。
今日の頭痛は最高レベルなのを知る。さて、どうしようか。
何か飲みたいと思ってお湯を沸かす。
ドリップで珈琲を淹れるのは嫌だな と直感で思う。
結局ずっと飲んでいなかったノンカフェインのインスタントコーヒーがあることを思い出して入れる。

珈琲をどうしても飲みたいわけでもない。朝からほうじ茶でも番茶でも、きっと私はいいのだ。でも自分以外の人と生活していて、相手が習慣として淹れてくれる珈琲には感謝だなと思ったりした。彼も、自分1人のためだけにはわざわざドリップで珈琲を淹れたりはしないだろう。

そしてきっとひとりになった時、私は自分で淹れた珈琲は飲まない。

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