意外と他人のことなんて、、、
心優しい人が傷ついて、そうじゃない奴らが暴言を吐く。
他人のことを思いやれる人が悲しんで、
そうじゃない奴らは気にしていない。
世の中なんてそんなもん。
そういう奴らに出会うたび、
いつもいつも「クソッタレ」と心の中でつぶやいている。
こんな私でも気になってしまうようなこと、
心優しい人には耐え難いだろうと思うと心が痛い。
*
どうしても人は「自分視点」で物事を考える。
当たり前のことなんだけど、
「他人の気持ち」まで「自分視点」で考えてしまう。
大事なこと、そう、大事なことではあるのだけれど
ちょっと待って。
大事なようで、間違っている時があるよ、その考え方。
自分は傷つきやすいな、とか
この世の中、生き難いなと思うような人に
なんとか伝えたい。
*
私も自分の感受性が人よりも強いとか、
最近よく耳にするようになったHSPとか
全然そんなんじゃないけど、「そんな風」なところは、ある。
それがキツくて、自分なりに解釈して、探し回って、
それでも足りなくて、毎回ぶち当たるたびに
「ああ、こんなもんか」と思うまでに時間もかかる。
今も試行錯誤だ。
それでも気が付いたこと。
実のところ
『殆どの人が意外と他人のことなんて気にしていない』
という事実。
こっちが言われた言葉を真剣に受け止めて、気にしてずーっと考え込んでいたって、そいつはその後、友人と美味しいご飯を食べ、昨日見たバラエティ番組の話題で笑い、温かいお風呂に入って「ああ、今日もいい1日だったぁ〜」とか思って気持ちよく寝る。そんなもんだ。
心無いことや不躾な事を言われても、「どうせコイツ、この後そんな風なんでしょ?」とか思うと、馬鹿馬鹿しくって、「まぁいいか」って思う。
コレを強く思ったのは20になる前。短大卒業間近、就職しないと決めた私に大手の会社に内定が決まったサークルの男の先輩が説教した時。
いつも最初はガマンする。これは今も昔も同じ。心の中で唱える。「これ以上、踏み込んでくるな、くるなよ」と。でもそういう時に限って、その見えない防波堤は簡単に崩される。そうなったら私はいつも全力で戦う。
「お前に関係ないだろう」と、
その時は周りが引く程の冷やかな気持ちでいいかえし、
「私は私の人生を生きていくのであって、それは貴方にはなんの関係もない。貴方は貴方で好きに生きればいいけれど、他人の人生に口を出すな。私の幸せは貴方には分からないだろうから」
そう言ったのを覚えている。
初めて他人に自分の思いを強く言った瞬間だった。
でもその時に知った。ああ、私はこう思っていたのかと。
それからは、それを強く思って生きている。
*
その後の人生で、結婚も出産も私はそれを貫いた。
そしてこれからも。
ただ自分のそれは貫くのだから、相手の主張も生き方も否定しない。
それは絶対。
分かってもらいたいのは山々だけど、それは押し付けない。
理解が得られずに否定や非難をされても、最初はガマンすること。
なんとかやり過ごす努力をすること。
さっき書いたような気持ちで、「まぁいっか」と。
でも、そこを乗り越えてこられた場合は戦って良しとする。
この最後の合戦を肯定することによって、最初の我慢が出来るのだ。
「だって私、ガマンしたもの、最初に百歩譲ったもの」ってね。
ゴニョゴニョって誤魔化して終わらせた何かもある。
誰かを恨み続けて生きるのは嫌だし、できれば不必要な他人との衝突は極力避けたいのが私だ。
他人を否定したり、傷つけたくない。
でも自分の芯の部分ではいつも「自分は自分」と強く思っている。
*
ヘッタクソだなー、自分。
もっと上手に伝えたいんだけど、駄目だな。
言いたかったのは
『殆どの人が意外と他人のことなんて気にしてない』ってこと。
だからそんなに重く受け止めなくていい。
結局「他人」なんだから。
大事な人は少しでいい。
その人に誠心誠意、相対して生きればいい。
それが今、この歳になって私が分かったことです。
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