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どれにしようかな


子供の頃から慎重なタイプだった。
幼稚園の先生に「この子は石橋をバシバシ叩いて、叩いて、叩いても渡らない」と言われたことがあるくらいの。(ちょっとウケる。笑)

慎重というか、何かをやるまでに時間が掛かるというか、
その上、考えているだけでやらなかったりするような、それが私。
noteを始めるくらいの頃にずーっと避けていたInstagramも始めてみた。
同時開催。私にとっては非常に珍しいことだ。

同時開催にした理由はきっと一個をやって見定めて、長続きしなかったらまた次をやって、、、というパワーが無かったから。
まとめて「ええぃ!」とやってしまって、自分に合ったものを見つけようと、そう思ったからだ。(石橋も叩かずに渡ってみようと)

Instagramは2個のIDを取って、1個は自分用、もう1個はYouTube用にと作った。そうそう、YouTubeも始めてみたのだった。これはやっている本人達は非常に面白いのだが、全くニーズが無くて(笑)、更新も途絶えている。時間があって暇ならいくらでもやりたいところだが、ニーズが無いなら、、、とやる気も起きず。どうしようも無い。

元々Facebookはやっていたのだが、友人も少なく、またアクティブに発信している友人も少ないので、自分のタイムラインには広告ばかりが並ぶ、、、。これ、やってる意味、あるの?
ただ、これで繋がっている貴重な故郷の友人達もいるので、その人たちのためだけに繋いでいるのが正直なところ。

Twitterは無理、そう判断した。(理由は面倒なので省略とする)




そんなこんなで今の私。
noteが1番楽しい。面白い。
思った以上に『書く』という行為で自分の何かが発散できている。

実は自分はあまりエッセイ本を買わない。好きじゃないと言ったほうがいいかも。専ら小説が好み。でもnoteで読ませていただく殆どがエッセイのような文章。そして詩や散文のようなもの。長くても短くても。これが意外だった。

InstagramのYouTubeIDのほうは、出来もしないのに英語発信(無理矢理なGoogle翻訳英語炸裂の)をしているのだが、これがとても面白い。
基本的に写真が好きだということ。友人には一切教えていないので、
フォローもフォロアーも殆ど外国の人達だ。
自分の好きなジャンルの写真ばかりが並ぶ、それを楽しく観れる。気楽だ。


そんな中でメアリーという、フロリダに住む、向こうでいうところの中学の美術の先生をしている女性と出会った。
彼女が私のマクロ写真をとても気に入ってくれて「これはどうやって撮ったの?」とダイレクトメッセージを送ってくれたのが最初。
必死に「おかしくない程度の翻訳された英文」を作って、彼女に送ったりして、ああ、こんなことが起こるんだなーと、感慨深い。

つい先日もなかなか更新できずにいた私に届いたメアリーからの温かいメッセージ。

こんにちは〇〇〇。 お元気ですか? しばらく投稿していなかったので、元気かと思っていました。 あなたの美しいマクロ写真をもっと見るのを楽しみにしています! メアリー(そのまんまのGoogle翻訳)

こんなことがあるなんて!
英語が得意な人からしたら「ふーん」って話だろうし、海外にバリバリ行ってる、外国の友人も多いよという人には「だから?」って話かもしれないが、どっぷりJAPANに浸かって生きている私のような人間にとってはビックリ驚きの嬉しい出来事なのです。

そんなこんなでInstagramも辞められそうもない。


自分用のInstagramはすっかり、、、。これは閲覧用かしらね。


今はそんなこんな。
間違っていても、迷っていても、意味がなくても、くだらなくても
そんな「途中経過」があってもいいと思っている。
「こうでなきゃいけない」とか「普通はこう」とか
「何かだけを一生懸命」とか「極める」とか
そういうんじゃなくてもいいと感じている。

私は自分の好きなことを、嬉しいことを、
心がクッてなることを
私自身のためにやる。
それでいい。


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