パライゾの寺

大学生の頃、合唱の授業で、先生が本番で指揮を振る曲を授業してもらったことがありました。

サンジュアンさまという曲です。
それはオラショという、ざっくりと言えば隠れキリシタンの歌った聖歌が、合唱バージョンにと作曲されたものでした。 

とにかく変なメロディというかプロが歌う用に作られていたので、初見でスラスラと歌う子の音程をみんなで一生懸命聴いて歌いました。
言葉も昔の言葉だし、加えてたぶん恐ろしく訛っていて、みんなは何これ、何言ってるのーなんて笑っていて、私も調子を合わせたりしていましたが、詩をみたとき綺麗な文字が並んでいるなあと思っていました。

祖母が長崎のクリスチャンであったこともあり興味が出てきて、その後オラショを聴いたり調べたりしているうちに、だんじくさまという歌を見つけました。


ウー 参ろやな 参ろやなぁ
パライゾの寺にぞ 参ろやなぁ
パライゾの寺とは 申するやなぁ
広いな寺とは 申するやなぁ
広いな狭いは 我が胸に 在るぞやなぁ
ウー 柴田山 柴田山なぁ
今はな涙の 先なるやなぁ
先はな助かる 道で あるぞやなぁ

禁教令が出されていた時代、両親と男の子3人家族のキリシタンが追っ手を避けて隠れた薮が段竹とされています。それが訛って、「だんじく」となったのだそうです。
結局3人は殺されてしまいましたが、今はその3人を祀る祠があるそうで、その祠を「だんじくさま」というらしく、長崎県平戸市という場所に実際に存在するようです。
パライゾとは天国のことですね。英語ではparadiseだと思います。天国には広いお寺(教会?)があって、でも結局その広い狭いは自分自身の生き方、信仰心によって見え方が変わってくるということでしょうか。柴田山とは存在しない山のようですが、どういうことなのかはっきりとはわかりませんでした。
わたしは、山という険しい自然を人生に例えて嘆くような悟るようなフレーズを挟み、天国の寺を涙の先にあるとしたのかと思います。隠れキリシタンの切迫した胸のうちや、信仰というものがよくわかります。

2022年の10月、私は母と長崎にいました。

睡眠薬がまた新しく増やされた頃で、長崎の海の見える電車に乗っていました、とにかく外を眺めたいと強く思いながら眠っていて、かえって海のそばの電車に乗っている自分をよく思い返せます。

Twitterでも少し書きましたが、私の母方の祖父は私が産まれる前に死にました。
アルコール中毒でよく暴れていたそうで、祖父の死について私から質問された母は「死んだ時は嬉しかった」と言っていました。毒親という言葉もないし、私も母や父が世界のすべてだった頃の話ですから、かなりはっきりと覚えています。

そういう母ですが、長崎に帰る最終日になって「おじいちゃんの墓参りに行きたい」と言い出しました。
特に反対する理由もなかったので、私たちはタクシーを捕まえて行くことにしました。
母が祖父の墓を管理する教会(祖父もまた、クリスチャンだったのでしょうか)をスラスラと運転手の方に伝えていて、私はそんなにもきちんと覚えていたことを意外に思いました。
ただ、ご存知の方もいるかと思いますが、長崎の道は住宅街であっても、高く険しいだけでなく、さらに細く入り組んでいるため、運転手の方にこれ以上は行けないからと言われて結局降ろされました。
降ろされたとしてとにかく道がよくわかりません。細すぎるし、家々の並び方が単純ではありませんでした。私たちは他人の家の敷地を歩いたり(母にはここではそんなに気にしなくていいと言われました)しなければいけませんでした。
教会に着くと想定外なことに改装中だったため入れず、恐らく教会がやっているであろう孤児院を訪ねて正確な墓地の住所を聞きました。

結論を言いますと、祖父の墓はありませんでした。
墓地に行った時、全体が新しく整理されていて、母も「こんな感じじゃなかった、もっと汚かったけど」と今思うとですがその言葉には少し不安が滲んでいました。
母に言われた祖父の苗字(母の旧姓とは違うものでした。私にその理由はよく分かりません)の書かれた墓を探しましたがありません。
私がやっと一周する頃、母は二周しており、母の三周目で私たちは諦めました。
きっと誰も管理していなかったし、祖父はそういうことになるべくしてなった人間なのだと思いました。
でも私はすごく悲しかった。「もういいや。最初から半々だと思ってた」とみたいなことを言う母を思うと悲しかったのです。
あーあーと思いながら、なだらかな丘に並ぶ墓の数々とその下にある広い草地を、丘の上から改めて眺めました。草地にはマリアの大きな像がありました。マリアは気高い顔をして目を伏せていました。
私はマリア像の前に歩いて行き、手を合わせてマリアと同じように目を閉じました。
母が何もしないまま帰ってしまう。母は自分からは決して手を合わせないだろうと思ったのです。
私が手を合わせると、母が少しためらいながら、でも何かを信じるように手を合わせる気配がしました。
何か具体的に祈ったわけでもありませんが、私が祈り終えたあとで母を見ると、母はまだ手を合わせていました。
やはりマリアと同じように目を閉じており、その姿はやけに小さく見えました。
空が青く、誰もかれも子供だと思いました。
帰りは歩いてバス停まで行きました。その地域では屋外でメダカや金魚を飼うことが流行っているらしく、沢山の水槽を見かけました。
私は今でも、あの時マリアの像があそこにあって、あの時私から手を合わせたことを、合わせなければならなかったことを覚えています。


だんじくさまのうたについて
参考にしたサイトのリンク

https://www.hira-shin.jp/shimanoyakata/index.php/entry?tag=%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%AF%E6%A7%98%E3%81%AE%E5%94%84 


https://oratio.jp/p_resource/junkyochi-danjikusama



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