とはいえ日の下

ランドセルが赤と黒の二択しかなかったときからわたしのランドセルは水色だった。両親の教育方針から、人間は良心の自由のもとにあると信じていたし、そうあるべきだと思っていた。

それがパワーハラスメントだと人は信じるか微妙なところで縛り付けられてきたけど、多分、先生の下にいたら私みたいな人間はつぶれていくんだろう。
実際そうだった。わたしは大学生になってから何か、生き生きする、という言葉を体現することはなくなった。

もう一昨年になるのか、大学卒業と同時に長年やっていた声楽をやめた。未来が見込めないし、業界に馴染める気がしなかったから。長年住んでいたところに住むのをやめた。色々と思い出してつらくなるから。他にも色々と辞めてきた。新しくなりたかった。
今のわたしは人から見ればいい身分だろう。実際わたしはわたしの時間で物事を進めることができる。
それはわたしの半永久的にも感じられる精神的な病を意味していた。苦痛。

この前、声楽教室へ行ってきた。
わたしは下町の新しい声楽教室で、勝手に新しい先生につくことにした。
何年ぶりだろう?こんなふうに歌うのは…体験レッスンだからかわからないけど先生はわたしの歌をとにかく褒めてくれた。

下町はアロエがとにかく多い。一時期流行ったのか。半分野生化しているものも多く、おどろおどろしさを感じる。だけどそこに他人を感じるのは好きだ。アロエを
植えたときの、なんとなく流行りに乗る美しさ。また、放置してしまう人の心の忙しさ、老い。

これからわたしはどうなっていくんだろう。
こわい。こわい。ほんとうは何もしたくない。

でもやっぱりお金は必要だ。そして生きているからには生きがい。
つまり、わたしのまま、水色のランドセルを背負ったままお金を稼ぐのはどうしたらいいんだろうと思いつつ、自分はランドセルを背負いたいのかおろしたいのかわからず葛藤しながら、色々と企画した。
この前の短歌の企画も喜んでもらえてたらうれしいし、まだ告知段階のものはきてくれたらうれしい。

よろしく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?