鬱の本

このたび、点滅者さんから刊行される「鬱の本」にエッセイを寄稿させていただきました。


ご予約は私の方でも承ります。
その場合手売りになります。
手売りはメイド喫茶熱帯夜(XID:nettaiya_maid)にて行います。発売日以降の金曜夜の零の出勤日ならいつでもどうぞ。取りに行けそうな日にはdmをくれると嬉しいです。
メイドの零に話しかければ予約させていただきます。予約は店舗問いません。

高校生の頃の、あの鬱屈としていて卒業式も一言も喋らずひとりで帰ったような女の子のバイブルだった人たち、また、コロナ禍で短歌だけが世間とのつながりだった頃に愛した人たち、今も尚尊敬している人たちが並んでいて、その中に私の名前があって最初見た時は驚きでした。喜んでいます。

展翅零は氷の中の熱のような、とんでもない諦観が生み出した奇跡の欠片のような存在です。今も泣けちゃうくらい、綺麗な存在です。

そんななかで、最近は、わたしはわたしに戻っていく、展翅零と乖離していくのを感じています。
筆名を本名に変えればきっともっと良くなる存在だと思いますが、活動柄そうもいきません。(これからどうなるかわからないにせよ)

いまはただ、草や人間が最低で最悪でとても綺麗で尊いことを眺めていたい、言葉にせず、わたしとして感じていたいと思っています。
わあ、蟹だ
月が最近見当たらないね
サンダルはいいね、水に入れるから
きょうはたのしかったね
そんな私や私の大事な人達から発せられる言葉をただただそのまま受け止めていたいと考えています。

だから、今回のエッセイについては、貴重な展翅零の文章のひとつだと思っています。展翅零は語りたくないこともちゃんと語るから。そして、沈黙にはもっと深い沈黙を与えるから。

だから、私の拙い文章でも、愛した人たちのなかに私がぽつんと浮かんでいても、一生懸命抱きとめてもらいたいと思っています。
 

鬱の本、よろしくお願い致します。

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