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Colaboをめぐる騒動について思うこと

とりあえず皆さんご存知ですよね、という前提で書いてます。まだ知らないけど気になる、という方は調べてみてください。

はじめに断わっておくと、私は原告の関係者ではないし、まして被告とも全く繋がりがないです。全くの赤の他人、第三者である。どちらの言い分が正しいのかは、いちおう私の心の中ではいちおう答えはあるのだけれども、係争中の案件ということもあるんでここでの表明は控えさせていただく。結局当事者同士の問題なので、外野があれこれ口をはさむのはどうかなと思ってますので。

最初は私関係ないし本件については黙ってようと思ったのですが、この騒動をみていて、というか主に当事者以外の人々を見ているとなんですが、書いておかなくてはと思うことがありました。それは最後に書いてます。で、映画おたくとして、今思うことを映画にちなんだ感じの文章でまとめます。

学生時代だった。冬で、コタツで友達と大酒をかっくらいながらみていた。レンタルDVD借りてきたのかなぁ、忘れちゃったけど。で、肝心の内容はほとんど覚えていない。なにしろウィキペディアの支離滅裂なあらすじを読んでもらえればわかるが、本当にひどい映画だから。私は気が付けば友達の部屋のコタツで寝落ちていた(友達はDVDを止めて地球防衛軍というゲームをやっていた)。

それを証明するではないですが、かの有名批評サイト、超映画批評でも5点という中々香ばしいスコアを叩きだしているので、紹介します。

いちおう、Amazonプライムでレンタルで視聴可能なのだが、ウィキのページをみてうんざりしたら見なくていいと思う。というか見ちゃだよこんなカスみたいなの!ほんと時間のムダなんだから! 300円でスーパーで缶ビールとおつまみ買って、その辺の公園でハトでも眺めながら楽しんだ方がぜっったいマシです。だれか間違って買うといけないのでリンクは貼りません。

前田有一さんも書かれてるけど、ジム・キャリーが23という数字を見るたびにビビりちらかすさまが延々と繰り返される訳で。「驚いた、広島への原爆投下の日時を足すと23やないか!」「過去も大統領の名前の字数も23文字や!」「地軸の角度も23度!」「なんか知らんけど、ワイの妻の靴の数も23や!」「こら恐ろしいで! この世は23という数字に支配されているんや、魂消たなぁ」

どうか良識のある方なら「魂消げるか、バカタレ」というつっこみを入れて頂けるものと、深く期待したいと思います。

しかし何か、こう、ですね。極端な結論ありきでなんでも物事を見るとですね、何事も恐ろしい存在に映ると言うか、被害妄想を抱いてしまうものかもしれませんね、人間って。『ナンバー23』は作り手が本気で「すうじ23支配説」を信じているじゃねーかと思ってしまうような、ある意味でホラーな作品です。反目、その辺りの人間の性を自覚的に、かつ皮肉っぽく描いた作品があります。

私の好きな俳優、アンドリュー・ガーフィールド主演のスリラーです。彼が演じるプー太郎が、突然行方不明になった気になる女の子を探すため、LAはシルバーレイクの町をさ迷い歩く、というプロットです。

お話だけだと安部公房 『燃え尽きた地図』を彷彿とさせます。ただ特徴的なのは、彼が手掛かりとするのは、友達が作った同人誌とか、部屋に残された落書きみたいな記号だったり、はてはゲームのゼルダの伝説に出てくるマップだったり、そういう「資料」なんですよね。ふつー人探しをするなら、いなくなった人の知人とか家族に聞き込みをしたり、職場とかの人間関係を洗うじゃないですか。彼は一切しないんすわ。

そういう「資料」を彼は自室いっぱいに広げてにらめっこして「これが真実だったんだ!」と勝手に資料から何かを読み取って、納得します。本当にただの変哲もない本だったり、落書きだったりするんですよ。挙句の果てに「世界の裏側で牛耳ってるやつがいて、それに彼女は巻き込まれたんだ」、とか言い出したり。

私は、こういうフィクションに出てくる困った人ってのは、意外に現実にもいるよなとか感じます。そうした「資料」が出されるたびに「これが真実だったんだ!」と何かに合点して、てんやわんやと騒いでいる人たちを見てると、です。Colaboの件に関わらず、そういった人が少なくないように思えます。尻切れトンボみたいな終わりですが、今感じていることはこんな塩梅ですかね。

本当のことは、きっと公平なジャッジのもと、最終的に司法が判断するはずです、たぶん。なのに、私のTwitter上の知り合いなどもこの騒ぎの尻馬に乗って、賛同の意味であいまいな情報をリツイートしたりするのを目にします。そういうのを見るたびに、まずは落ち着いて判決を待ってみませんかこのバカタレ、と私は言いたいのです。

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