ちょっと待って。何それ。どこの日本のお話ですか?

こちらのインスタグラムでの投稿。混乱させるような表現になってしまって申し訳ございませんでした。素晴らしいニュースはBBCのトップページに掲載頂いたこと。心苦しいニュースは中東で起こっていること。今回の話題は嬉しいニュースでも心苦しいニュースでもなく、刺し子関連の出来事です。なので大局観で見たら、ほんの豆粒にもならない出来事なのですが、私にとっては「遂にここまできたか」という、懸念していた事が起こってしまった感じです。超えてはいけない一線があって、それを簡単に超えてきたというお話です。

念の為、「勘違い」とか「そういう意味じゃなかった」というすれ違いからの出来事であることを念頭に入れて、そのコメントを発した人に対して私の遺憾の気持ちを伝え、「どうしてそういうコメントになるのか説明して欲しい」とまずは返事しました。ある程度時間は必要だろうと待ちながらも、その方が同じスレッドの違うコメントへの返信をしているのをみて、これは「勘違い」ではないだろうと判断しての、このまとめです。もし「違う意図や勘違い」で書いたのであれば、あれだけの強い遺憾の返事に対して、何かしらの返事はあって然るべきだと思うので。

さて。
感の良い方はすでにお気づきかもしれませんが、場所はあのFacebookグループです。様々な刺し子が日本語以外を中心に議論、紹介、教えられている場所です。グループそのものには問題はなく、寧ろ管理者を中心に尊敬の念を抱いているグループです。あれだけ大きなグループの管理は大変です。そこのあるスレッドに巻き込まれました。

こちらの投稿がきっかけです。

刺し子において、何が「正解」で「間違い」かを紹介している画像です。確か、ある本の一頁だったと思います。この刺し子における「正解と間違い」。簡潔に且つ乱暴にまとまったこの画像は良く目にしますし、「これが伝統的な刺し子だ」と紹介されるのも、過去5年間で何百回と経験してきているので、この投稿そのものに何か私がリアクションすることはありません。日本人の刺し子をしている一人として思うことはありますが、「正解と間違いがある刺し子」が存在しても良いですし、「裏は汚くても良い刺し子」が存在することも承知しています。なので基本、流します。機嫌が悪い時はイライラするので、その時は見て見ないふり。

ただ、機嫌が良い時&目についた時は、どのような反応があるかというコメント欄を見るようにしています。というのも、この「正解と間違い」だけが刺し子の全体像であるような印象を持たれるのは好まないですし、また英語圏の刺し子がどのように変化しているのかを確認する為に、この手の議論は大変参考になるからです。

その中に、このようなやり取りがありました。

雑になりますが端的にまとめると

「完璧や正解を求める刺し子ではない刺し子が好みだ」というある参加者の意思表示に対して、Sharonが「それは違う。”(完璧や正解への)美的感覚”は日本人の血に流れているものだ。(杜撰な刺し子の)未熟さの言い訳にしないで」という強めの返事をします。ふむふむと時系列を読み進めます。「刺し子の自由」が叫ばれる世の中で、確かに「なんでもOK」を理由に、未熟さを無視して学びを進めないのは私もどうかなと思うので、その「日本人の血の中にある完璧という美的感覚」という表現は如何なものかと思いつつ(というか、もうこの段階で西洋の考え方だよなぁと思いつつ)、読み進めます。

そのSharonの強い言葉への反論として出てきたのが私の名前です。「Youtubeで”SashikoStory”を検索して見なさい。日本人の刺し子の職人(これが私です)が興味深いことを共有している(多分、正解も間違いもない刺し子というお話し)。私は彼の刺し子を真似して、裏から刺し子をするようにしているから。」という嬉しいコメントに続きます。「未熟さへの言い訳」は横に置いても、裏から刺し子をするという「裏表を綺麗にする刺し子」を学んで頂けるのはとても嬉しいことです。表の見た目の「正解」に気を取られると、裏はどうしても汚くなりますし。大変で苦しいことも多いけれど、やっぱり思いを発信し続けるのは大事だなぁと、こうやって少しでも「文化の学びの源流(どこから学んでいるか)」を紹介してくれる方が増えれば良いなぁと喜んだのも束の間、次のコメントが飛んできます。私へのコメントではないです。まだ、私はここではコメントすらしていません。ある方が、どこから刺し子を学んでいるかという学びの元として私のアカウントを紹介しただけです。

He (Atsushi) is not well Respected in Japan.

一読しただけでは理解できませんでした。私の英語力、あるいは文脈を把握する能力が足りないのかと不安になり、妻にも一連の流れを見てもらいました(その後、妻は怒りで叫ぶことになりますが)。うん。どう読んでも、どう考えても、この文章はそう読むしかない。

私のYoutubeでお伝えしていることから刺し子を学んでいると答えてくれた方への返事が、「その人(淳)は、日本では全然尊敬されていないから」と。

念の為、「Respected」の単語に私の知らない意味があるかもしれないと思い調べてみます。
Being Respected という受動態なので

  • 「尊敬される」←これが一番代表的

  • 評判が高い

  • 一流の___として知られる

つまり、どこをどう解釈しても以下のような日本語訳になります。


  • 淳は(刺し子で)尊敬されていない。

  • 淳(の刺し子界隈)の評判は良くない。

  • 淳は(刺し子の)一流ではない。

無理に解釈を良い方向に進めても、「淳は良く思われていない」くらいまでです。そもそもこの「Respect」という単語は相当強い言葉なので、Not Respect という表現は相当に確信があって言うものです。「I do not respect you」なんて対面で発言した日には、その人の関係は終わると思っていいくらいの。それをここではあたかも、日本では事実としてそのように思われていると私が中傷されているのです。

私が知ってる人の冗談であれば「どこの日本やねん!」と笑ってツッコミを入れる所ですが、このSharonという方はこのSashikoのFBグループで、他の参加者に「答え」を教え続けている常連です。私と絡むのは初めて…だと思いますが、それだけ刺し子の知識にある(と思っている)人からの言葉を冗談として捉えるわけにはいきません。

めちゃくちゃ怒ってます。

私自身が中傷されたことへの怒りもそうですが、もっともっと頭が煮えたくっている理由は、これは「刺し子を私から学んで下さった方々」を馬鹿にしている言葉でもあると思うからです。私が一流の刺し子職人だとは思いません。ただ、刺し子を教えることに関しては一流を目指していますし、それなりに一流に近くなってきたと少し自分を誉めていた所です。私の刺し子の(刺し子への向き合い方の)評判が良くないかどうかはわかりませんが、あたかも「日本全体での淳の評判」のように書かれるのは、無知を通り越して失礼極まりないものです。

毎月2回の集まりの井戸端会。運針会との皆様のプロジェクト。インスタグラムを中心とした日本語でのやりとり。正直な思いを隠さず吐露している毎週の配信。恵子さんの刺し子。私が好きな刺し子。私が好きな刺し子に興味を持って下さる方。私の投稿を待ち望んでくれている方。(それほど自慢には思っていないけれども)家業としての刺し子。今は亡き父親。こんな家計の足しにもならないことを応援してくれる妻。 BBCの映像をみて歓声を上げてくれる娘。そして何より、これまでの6年間、私の活動を応援してくれた全ての皆様を馬鹿にしているコメントです。

どう思う?
流石に一線超えてない?


Facebookにおける、この失礼極まりないコメントへの私の返信は、Facebook上でも長いので、ここでは雑に要約します。(スクリーンショットはこのノートの最後に)。感情論としては上に書いたことを英語にしています。それに加えて、Sharonに対して「説明ができる機会(時間)」を作りました。人を誰もが見える場所で馬鹿にするのであれば、私の解釈が間違っているのであれば、説明は必要だと思うからです。

ちなみに、この返信まで、私は一切この議論に参加してなかった点を予めご確認下さい。巻き込まれ事故もいいところです。

  • 私がお伝えしている刺し子には「正解も間違いも存在しないこと」。針目を綺麗に見せるための知恵や知識は存在するけれども、それをルールとして他人様に強制するようなものではないこと。ましてや、「完璧を求めないと日本的な刺し子じゃない」とは思っていないし、また「完璧を求めない=未熟な刺し子である言い訳」とも思っていないこと。

  • どの「日本」で、このような私への直接の批判が言われているか知りたいということ。少なくとも運針会を受講して下さった方は私へのある程度の尊敬があってのことだと思うし、評判が良くないのであれば、様々なプロジェクトの継続すらできていないでしょうし。

  • 私に対して失礼なだけではなく、私が関わる全ての日本人に対して失礼だということ。

  • 具体的な批判があって、それが論理的且つ理解できるものであれば、改善&訂正する気持ちはあること。

  • 事実ではないことを言われていると認識しているので、それが事実だと断言するだけの根拠を出して欲しいこと(というか出す責任があること)。

この返事をした後、怒りは横に置いて、この状況について考えを巡らせています。謝罪があれば、まだこの一件だけだし、水に流すことも考えました。ただ、謝罪もないですし、その気もないようなので、「一線を超えた出来事」として進めます。


どうしてこのようなコメントが出てきたのか

怒りで終われればいいのですが、そんな単純ではなく面倒な私なので、考えます。ただ、考えを深める前に状況理解をまず進めます。

  • コメントをした当事者(Sharon)は、頻繁にこの「Sashiko Group」において、刺し子の助言を含んだ多数のコメントを残していること。

  • そのコメントを読む限り、Sharonには「刺し子においての絶対的な答え」が存在すること。

  • 記憶にある限り、私からSharonを直接批判したことはないこと。ただ、毎回のようにコメントに出てくる&絶対的な答えを主張するコメントが多いので、記憶には存在していたこと。

  • 憶測ではありますが、Sharonは、イギリスの「Susan Briscoe」の支持者であること。というのも、Sharonがするアドバイスは、Susanの本に基づいたもの、あるいはSusanの本やウェブサイトを紹介するものがほとんどだから。

  • 記憶は曖昧だけれど、この投稿の最初の画像(正解と間違いを示しているもの)はそのSusanの本の一頁であること(だから、Sharonは別コメントで「画像がどこからきたか明記しろ」と怒ってるのかも)。

以下、上記の状況理解を踏まえて、個人的な推測です。

この私への直接の批判(というか名誉毀損)が、Sharon個人からのものだとは思えないのです。おそらく…推測ですが、私が属していないグループで、私が教えている刺し子に対しての批判が膨らんでいるんだろうなと。私自身、Susanが刺し子として教えていることや出版物そのものを直接否定したことはないはずですが、同時に「究極の刺し子」という本を出していることに対して、「究極」ではないよねと常日頃突っ込んでいるのは事実です。「英語での刺し子は間違っていないけれども、十分に紹介されてもいない」と日々言葉にしていることも事実です。それは批判というよりは、事実として根拠も一緒に出すようにしています。多くの日本人が巻き込まれず、一部の日本人だけ巻き込んで、且つ英語のみで完結する刺し子は、十分に紹介されている日本の刺し子とは言えないでしょう。

優しい観点から考えると、これは「口が滑った」状況なのかもしれません。それも踏まえて「謝罪する機会」は設けました。でも、それも無視されている状況です。

私個人が批判されることは慣れていますし、心は苦しくなるけれど理解はできます。「淳が言っていることは間違いだ。気に入らん。嫌いだ!」というコメントは受け入れますし、これまでも受け入れてきました。その都度反論はしますが、だからといって誰かの個人的な感想を私が強引に変えることはできないことは重々承知しています。できるのは私が私と私の大切な人を守ることだけです。

今回違うのは、「私の日本での評判」を思いっきり捻じ曲げていることです。繰り返しますが、どこの日本の話なんだろうというのが私の正直な感想です。もし、私が日本国内の刺し子をしている人の多数に求められていないのであれば、こんな面倒な配信や投稿は今すぐにでも辞めます。私の好きな人達の集まりで完結すればいいだけの話なのです。それだけのものはもうすでに出来上がっているし。でも、きっと違うはず。変わりゆく世界の英語圏の刺し子の中で、置いてけぼりになる日本の刺し子を少しでも拾い上げるのが私の使命だと思っていて、少なからず応援してくださっている方もいるからです。

これは…英語圏(大多数派)で流行になっていることに対して、その流行の元にいる人が何かをいうと潰されると言う、これまでにも繰り返している排他される側の歴史の流れなんだろうと思います。逆に言うと、それだけ刺し子が流行になり、それだけ私の認知度が上がってきたと言うことでもあるんでしょう。ただ、日本語でこの文章を書いている最大の理由は、「英語圏の刺し子では事実が捻じ曲げられている(可能性がある)」と言うことをお伝えする為です。これは英語ができないと認識できない流れです。でもさ、日本の刺し子を語る&尊重する為に、「英語ができないとダメ」と言う段階で傲慢じゃないですか?西洋の植民地マインドが根本にあるのかもしれません。

「淳は尊敬されていないよね」と言う議論が日本語で行われていて、そこに多くの日本人が混じっているなら、私は苦しいですがしっかりと受け入れます。私が変わって(何かを諦めて)刺し子の本質が残るのであれば、喜んで痛みと変化を受け入れます。目的は刺し子を残すこと。私はその舞台を準備しているだけに過ぎず、主役は日本で刺し子をしている方々なので。


ん…日本語での議論が行われていたとして…?



あぁそうか。
これは文化そのものを壊す一言だから怒っているんだ。

あまり寝られず、寝たか寝ないかくらいの状況で確認作業をしたり考えたりしています。「無知なコメントへの怒り」は勿論なのですが、同時に凄く何か大切なものを壊された気がして落ち着かないのです。

色々思うことを書き出してみました。

  • 刺し子家業の中で自殺した親父の命日(!?)に、このコメントだから感情的になっているのか?

  • BBCに掲載された後だから調子に乗っているのか?

  • 誰からも尊敬されるべきだというまでに自尊心が膨らんでいたのか?

  • 直接言われたから単純に怒りが頂点に達しているのか?

  • 妻の母国(イスラエル)の関係で心が不安定だからか…。

全部当てはまるっちゃ当てはまります。ただ、どれも核心をついていない気がして納得できないのです。たった一人の、私が知らない人のコメントです。その裏にどれだけ多数の私を批判する人が存在しても、そんなん仕方ないでしょと開き直るくらいには強くなったつもりです。

この文章を書きながら、漸くわかりました。

「この種類の議論は”日本語では行われない”からこそ怒っているのだ」と。

詳しく説明します。

全ての人から好かれる&尊敬されるなんてのは不可能です。注目が集まれば集まるほど、両極端の反応が出てきます。それは刺し子でも一緒で、好きな刺し子&嫌いな刺し子が存在するだろうし、それで良いと思っています。中には「あの刺し子は間違っている」と思っている人もいるでしょう。数は少ないですが、そう言うコメントを見たこともあります。

では、そんな数ある刺し子の中で、なぜこれまでに「正しい刺し子を統一しよう」と言う運動が出てこなかったのか。あるいは「正当な刺し子とは何か?」と言う大きな論争が出てこなかったのか。吉田先生、吉浦先生、銀座先生…こぎん&菱刺しを含めなくても沢山の先生が存在し、その地域ごとの刺し子が存在しています。なぜこれまで論争になっていないのか。

それは「”日本人が”刺し子をしていたから」です。
それは「刺し子が日本の文化だから」です。

「本音と建前」という言葉が存在するように、どれだけの悪口や陰口があっても、それは身内で納めておくのが日本の礼儀です。その礼儀が陰湿なんだと非難される事もあるかと思いますが、それが島国日本で逃げることができない人々の中で培われてきた文化、「正解を導き出し他を排除するよりも争いそのものを避けることを優先する」という文化です。

また、どれだけ嫌いであっても、相手への尊敬は忘れないのが日本の礼儀です。私は家業の刺し子への向き合い方が嫌いだったので、家業以外の刺し子は基本的に全て尊敬の眼差しでみているのですが、尊敬そのものは言葉にするものではありません。「尊敬しています」と直接褒めるのも、「尊敬していません」と直接喧嘩を売るのも、日本的ではないなと思うのです。(個人間であればあり得るかもしれませんが、今回は「日本で尊敬されていない」と言う複数を巻き込んでいるのであり得ません。繰り返しますが、「I do not respect him (私は彼を尊敬していない)」であればわかるんです。ムカつくし怒りを覚えますが理解は可能です。今回問題なのは「Atsushi is not respected in Japan (淳は日本では尊敬されていない)」 と多くの人を巻き込んでいるのが問題です)。

改めて言葉にするとむかつきますが、この中傷は「私の言っていること」や「私のしている刺し子」への、論理があれば批判になりうるものではありません。私そのものを対象とする人格攻撃です。これは日本文化の中ではタブーの一つです(というか爆弾着火剤です)。

纏めると、Sharonの私への批判は、これまで微妙に保たれてきた日本の刺し子という文化を根本から破壊する言葉なのです。崩れ出すのは先のことかもしれません。でも、5手先、10手先、きっと崩れます。ここで私が何も反応しないと、ここで私が何も考えないと、想定していた最悪の結果になりうるかもしれないのです。

その5手先の一例を出しますね。未来のことなので妄想に近いところもありますが、そこは私の豊かな想像力の賜物とご理解ください。

  1. 私の「説明を求める」という返事に対してSharonが崇拝するSusanを巻き込む。

  2. 巻き込まれたSusanが、「私には沢山の日本人の刺し子友達がいる」とSharonとSusanの主張を正当化する。

  3. 私としては「その日本人から直接話を聞きたい」と言うしかないので、紹介を求める。

  4. Susanの紹介する究極の刺し子は土門先生の遊佐刺し子なので、遊佐刺し子が巻き込まれる。

  5. 土門先生には私個人からいつか直接ご挨拶したいですと、ウェブ上でご挨拶していますが、ここで土門先生(遊佐刺し子)と私の対立が生まれる。

私は遊佐刺し子のことを尊敬しています。Susanが遊佐刺し子を取り上げて、「遊佐刺し子を究極の刺し子と言っているのは違うでしょ」と言っているだけです。Susanの出版物やメッセージが「究極の遊佐刺し子」であれば全く問題ないのです。

ただ、この「勘違いした西洋人」がきっかけとなり、これまでは存在しなかった「どの刺し子が本当の刺し子で、尊敬されるべき刺し子か」と言うアホな議論が出てくる可能性があるのです。インターネットで簡単に繋がる今、インターネットで声が大きい人が「答え」になります。でも、私が残したい刺し子をしている人の声はインターネットでは大きくない為、結果として「対立だけ生んで声が大きい人だけが残る」ことになりかねません。

これまで日本人が大切にしてきている微妙な刺し子の立ち位置のバランス、日常の針仕事という個人的で不可侵な部分を、こうも簡単に、しかも日本を分かっていると勘違いしている人から壊されかけているというのが今回の怒りの一番の根本にあるんだなと思っています。

どうでしょうか…?
相変わらずの長文ですが、状況説明はできたかなと思います。
いやー。英語圏での「刺し子論争」になるのであれば、きっかけは私の配信での失言等になるかなーと思っていたのですが、こういう形で始まるとは。

めちゃくちゃムカついてます。
めちゃくちゃ怒ってます。
だからこそ、考え続けます。


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