”壊れる”時のメカニズム

世の中に「うつ病」という言葉が溢れるようになって、まるで雛形でもある様にうつ病について語られているのだけど、うつ病って杓子定規に判断できるものじゃなくて、「あれかもしれないしこれかもしれないけれど、でもレントゲンとか取っても目で確認できるものでもないし、とりあえずの対処法」としての診断だと思っていて。

もしかしたら自律神経失調症とトラウマのコンボかもしれないし、もしかしたら軽い躁うつ病の躁状態からの転落中の一コマかもしれない。実際に苦しんでいる人は、「(ある程度の)診断名と対処法(主に薬)」が欲しいので、その苦しみの奥底にある原因と本当の病名が何なのかというのは、とても優秀な精神科医と臨床心理士(カウンセラー)の先生方のお力の上に成り立つものだと思っていて。だから、僕自身は「Feeling Depressed / Difficult to Stay Awake」という診断の上にお薬を処方してもらっているけれど、これが、「うつ病」なのか、はたまた「躁うつ病」なのか、もしかしたらもっと大変な何かなのかはわからないまま、苦しい日々を送っています。世界で一番優秀だと思っている臨床心理学の妻には、「心理的外傷を隠そうとするから苦しい」って思いっきり的を撃ち抜かれている感じはするんですけどね。


ぶっちゃけ診断名や現状分析そのものよりも、「どう死なないか」が大切な訳で、少しでも他の方の参考になればと思い、「壊れる」時の簡単なメカニズムをご紹介します。ここで僕が言う「壊れる」とは、一般的に言われる日常生活が送れなくなる状況を言います。お仕事は勿論、一般的な家事も不可。ご飯も「食べなきゃ」と思わなきゃ食べられず、シャワーも浴びれない状況です。歯磨きができるかどうかはとても大切な判断基準で、「トイレにも行けない」状況になると、自分以外にも迷惑がかかるので、それまでにはしっかり対処する方が良いかな……という感じ。「対処」と書きましたが、対処とは「助けて」と周囲に声を出すことです。とはいえ、どう助けて頂いたら良いのかもわからず、結局は寝ることだけになるので、対処というよりは「報告」の方が近いのかもしれませんが、それでもトイレに行けないっていうのは本当に良くない状況なので、そこに行く一歩手前で助けを求めるようにしています。僕にとってのその一線が歯磨きです。

さて。「壊れる」前に共通して起こることがあります。それは、「文字や言葉が止めどなく頭に溢れる状況に陥ること」です。ずーっとメモ帳を持ち歩いても、パソコンの前に一日中座って文字をタイピングし続けても、それでも書き留めるよりも早く文字や言葉が目の裏側を過ります。なんとか文章として形を繋ぎ止められたものは昇華してくれるのですが、完成形にならない文字や言葉だけは、脳の左端に少しずつ溜まっていきます。どれだけ書いても、どれだけ文章にしても、止まらない、止められない。眠ろうと思って目を瞑っても、真っ暗な瞼の裏に線香花火のような小さな光がパチパチと光るので、結局スマホを片手にメモを取ってしまう。メモを取らないと溺れてしまいそうな恐怖感に襲われるのです。結果、睡眠時間も削られる。結果、ずーっと言葉と文字と向き合っている状況が数日、数週間、下手すると数ヶ月続きます。そして、プツっと切れる。

プツっと何かが切れた後は、上記の「壊れた」状況になります。仕事は勿論、家事もできない。ただ、動かない体を横たわらせて天井を見て現実と睡眠との間を、どちらがどちらかよくわからないまま往復するだけの日々になります。壊れた状況でも文字や言葉は飛び回るのですが、僕以外の誰かが勝手に過去の記憶に当てはめてくれるので、僕が主体的に整理しなくても目の前が言葉で埋め尽くされて真っ暗になることはありません。ただ、本当に苦しい。「治そう」として抵抗すればするほど、この壊れた状況は続いてしまうので、結果として「諦める」ことが大切になってくるのですが、その状況が許されていない場合や、個人的に「許せない」場合は本当に大変です。「うつ病の治療法の第一はまず寝ること」とあるのは本当に正しくて、それは「治そうと(自分勝手に)努力しないこと」はつまりは寝ることなんです。脳はなんとか治そうとしてくれるのでね。


横になっている間に何を考えるかは、人それぞれ千差万別だと思います。未来に対して希望や不安がある人は、「死にたい」という気持ちに包まれてしまう人もいるでしょうし、逆に過去の記憶に苛まれてしまうこともあると思います。過食&拒食に繋がることもあるし、基本、楽しいことは一つもなくなります。何をしていても楽しくない。何を食べていても美味しくない。なんだこれ……という状況が、(その瞬間の人にとって)永久に続く感じがします。本当にキツイ。苦しい。でも特効薬みたいなものはなくて。

僕は過去の記憶に自分を沈めることが多いです。

昔、僕が子供の頃にいてほしかった自分になるのが、僕の人生のテーマだったりします。昔、僕が「助けて」と叫んだ時に助けてくれるような人になりたいし、なりたかった。でも、僕自身が、過去に戻り、昔の僕を救うなんてことはファンタジーでしかあり得なくて、結果、言葉や文字に逃げるんです。見たくないものに蓋をするように、きれいな言葉や文字で修飾して本質を歪めて。

卵が先か鶏が先か……という話になってしまうのですが、言葉や文字に逃げ道を求めるから「壊れる」瞬間があって、でも壊れた後は、その文字や言葉に逃げる自分の過去に沈んで。もっと単純に生きられればいいなぁとは思うのですが、やっぱりそれは、幼少期に単純であることを許されなかった場合は、そう簡単には塗り替えることはできないようです。

うつ病には、診断項目があります。ただ、その細かな症状や原因は千差万別です。ぶっちゃけて言うと、「治る」ということもないような気がしています。寛解して、「うつ病と一緒に生きる」と決めた時、僕は少しだけ心が軽くなった気がするくらい、「治して元に戻す」というのは難しいような気がします。だからこそ、どういうメカニズムで(どういうきっかけで、どういう流れで)苦しくなるのかを事前に理解しておくことは、最悪の一歩を踏み出さない為にも大切なんだろうなと思うのです。

(とはいえ、理解しておいたからといって苦しみが減るかと言ったらそうではないので、最悪の一歩を踏み出すかどうかは、また違う要素も必要になってくるかとは思いますが)。

少しでも参考になれば幸いです。

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