LTS創業の話(32)

LTSは今年で設立20年目を迎えました。LTSの設立は2002年1月に決定し、2月から業務を開始し、法人登記した日が現在創立記念日となっている3月22日です。

ITバブル

創業した時の主要メンバーのうち、現在も在籍しているのは5名です。全員、起業や会社設立を志望したこともなく、おそらく、自分のキャリアとして想像したこともありませんでした。このメンバーは2000年にあるベンチャー企業で出逢いました。そのベンチャー企業は、勃興しつつあったインターネットを人材育成に役立てようとの思いから、e-learningに取り組んでいました。消費者向けサービス(B2C)、法人向けサービス(B2B)を提供し、私は主に、法人向けサービスに関わっていました。その会社は、ITバブルの波に乗って36億円もの資金を調達したのですが、収益を生み出す前に、ITバブル崩壊に飲み込まれました。私を誘ってくれた社長は更迭され、後任社長と取締役会は資金保全のため事業停止を決断しました。ITバブルをご存じない方に補足しますと、1995年から2001年くらいに、インターネットの商用利用を商機と見た企業(多くがベンチャー企業)が、続々とインターネット関連市場に参入しました。1995年から関連企業の株価が急上昇し、新規公開が相次ぎました。当時は、収益が出ていない、つまり赤字の会社でも、インターネット関連事業に取組んでいれば、市場から評価されて株式公開ができるような市況感が続いていましたが、2001年の米国金利上昇とともに株価は下落に転じました。この流れの中でインターネット関連企業への資金投下のペースが鈍り、多くの企業が倒産、撤退を迫られました。この株価下落局面が当時「ITバブルの崩壊」と呼ばれました。現在、メガベンチャーと呼ばれる企業はITバブル崩壊を生き残り発展を続けてきた企業です。
ITバブル崩壊の事業環境の中ではありましたが、私たちが取り組んでいたB2B事業は自動車メーカーを顧客として収益を生み出せる水準にあり、そのプロジェクト継続のために会社幹部2人が中心になって新たな会社(2社目のe-learningベンチャー企業)を設立し、LTSの創業メンバーたちもその会社に移りました。1社目から引き継いだ自動車メーカーのプロジェクトに加え、新たに自動車部品メーカーのプロジェクトも受注し、苦労しながらも事業は進展していました。少なくとも、プロジェクトを実施している私たちには、自分たちのサービスが買って頂ける、評価頂けている、という感触を持っていました。2社目の会社は、多くのベンチャー企業と同じように財務基盤の強化が課題で、ベンチャーキャピタルからの資金調達を進めていたのですが、数か月で調達を断念し、同時に事業停止を決断しました。

LTS設立まで

事業停止を言い渡されたのは2001年12月25日だったように記憶しています。その夜、若い3名(26歳2名、27歳1名)で近所の居酒屋に行って、新たなプロジェクトが受注できたこと、プロジェクトでの仕事が評価されていること、プロジェクトはこれからが佳境になるであろうこと、事業停止の決断への不満や悔しさについて語る中で、「もう一度、事業をやろう。今度はみんなで会社を作ろう」という話があがり、「もし、〇〇さんも一緒にやってくれるなら」というところで話が終わりました。翌日、その○〇さんを誘ったら即答でOK(これにはみんな驚いた)。年明け早々には経営方針(みんなで出資する、みんなで決める)を確認し、更にその後の事業発展に向けて不可欠な営業ネットワークと財務基盤が整うことを条件に会社を設立しよう、ということまで決めました。その後、すぐにこの点をご支援頂ける会社が決定し、LTSの設立も決まりました。

「そんなまでしてくれたら」

ITバブル崩壊後、インターネットベンチャーに転職した元コンサルタントや元金融機関社員の多くが古巣の産業に戻っていきました。当時は、B2C(Back to consultant)、B2B(Back to bank)なんて言われて揶揄するような風潮もありましたし、そのタイミングで会社設立は期を逸したと見えたようで、しばしば「早く戻ってこい」、「仕事を手伝って」、「いつまでやってんだ」、、、なんて言われました。それでも、みんなで会社設立を決め、私の場合は最低3年は全力でやる、最後までやる、って決めてました。
出発点は、お客様に「あなたと契約してよかった」と思ってほしかったということに尽きます。今では大企業とベンチャー企業が直接契約して協業するのは一般的ですが、当時の大企業は設立直後の会社とは契約しないことがほとんどでした。何しろ協力会社としての登録審査に「過去3年の財務諸表」や「取引実績」が求められるのです。設立直後には財務諸表なんてないし、契約でいないのに実績も何もありません。おそらく、孫請会社と直接取引を開始することを想定したルールであったのでしょうが、ルールである以上、それを乗り越えるのは相当困難です。当時の私たちは、100社とお会いしても話を聞いて頂けるのは50社くらい、提案させてくれるのは20社くらい、そのうち10社くらいが真剣に検討しくれて、5社くらいが「よい提案だった」と言ってくれるのですが契約には至りません。提案内容の評価を聞きに行くと「提案内容もいい。金額も優位。納期だって守ってくれる。担当者の情熱なら一番。でも、ウチは設立直後の会社とは取引できないんだ」と言われます。その中で、たった1社だけ契約してくれたお客様がいました。お話から伺うに、私たちを気に入って下さった若手の課長さんが、役員を含む上司を説得し、上司と一緒に管理部門、法務部門も説得してなんとか契約に至ったようです。その間、新興企業との取引リスクなど散々指摘されたと思いますが、そんななかで契約して開始したプロジェクトをこちら都合で凍結したら、課長さんに多大な迷惑がかかるでしょうし、課長さんのキャリアにも傷をつけてしまうかもしれません。本気で動いて頂き、恩を頂いた相手対して恩に報いるどころか、迷惑をかけるなんていうのは、絶対に嫌だ、というのが出発点でした。

更に考えていたこと

他にも、「この会社であれば」と期待していることもありました。

1.このメンバーで仕事できるのは今しかないと思っていたこと。
当時は、お互いに恥ずかしくて言葉にすることはありませんでしたが、私は、他のみんなが、才能にあふれて、人柄がよくて、正々堂々とありたいと考える素晴らしい人だと思っていました。当時の私は若手ではありましたが、人を大切にしない方、人からされた恩を忘れるのに自分がしたことが感謝されないと不満を言う方、ズルをしても結果がでればよしとする方、自分のために会社や他人を利用する方たちにも多く出逢い、そんな中で仕事するのは楽しいことばかりではありませんでした。周囲に不満があることが自分が全力を尽くさない理由にはならない、かといって、自分の努力があまり好きでもない人の損得計算に利用されるのも気持ちよくない。社会人初めの数年でこんなジレンマを持っていたのですが、この人たちだったら気持ちよく仕事できると思いましたし、他の職場にもっといい環境があるように思えませんでした。

2.全力尽くしたら20代で屈指の経験になるかもしれないと思えたこと。
全力尽くして、最善を尽くして、それでも力及ばず倒産してしまったら、その時は全力で謝って個人としてもできることをやりきればよいと考えてました。倒産で死ぬことはないだろうし、悪い筋の借入がなければ変なことにもならないだろうし(そもそも借入できる信用なんてなかった)、きっとその全力はよい経験になって、別の職場に転職する時の有利になるだろう、くらいに開き直っていました。

3.自分たちが通用するのが嬉しかった。
社会人3年目、4年目で、「まだ何者にもなっていない」自分たちが必要とされること、自分たちの姿勢、情熱、スキルが認められることは、やはり大きな手ごたえでした。

今、思うこと

1つの事実、起こったことは変わることはありませんが、時間の経過とともに、おそらく自分の成長とともに、事実の解釈は進化します。今の目から見て思うことは当時の解釈とはまた少し違います。

1.ITバブルの崩壊が縁を濃縮した
やはり困難な時期ほど本気と本音が試されます。ITバブルの空気感の特徴の1つは「ネットで事業していれば赤字でもIPOできて、若者でも簡単にお金持ちになれるという熱狂」でした。その空気感が大企業からベンチャー企業へ、というヒト、カネの流れを作ったのは事実ですが、お金への欲を隠そうとしな人ほど、熱狂に煽られた、そんな時代です。バブル崩壊後は、カネの流れは変わり、ヒトの流れもカネの流れに従ったのですが、そんな中で、逆流に耐えて残った人たちは、事業欲(事業を発展させたい、もっと多くの人に必要とされたい)という渇望に気づける環境だったと思います。私自身は、熱狂の世界に淡い憧れもありましたが、私たちの提案を信じて頂き、プロジェクトを契約頂き、実際にプロジェクトを通じて評価される喜びにこそさらに深く酔いました。

2.時代は20代の感性が作る
記述した通り、20代の頃は周囲には様々な方がいました。当時の私たちは、経験、実績、ネットワーク、資金、知的財産といった経験資源が極めて限られていたので、私たちに利用価値を見出してくださる方、期待してくださる方は本当に希少で貴重でした。多少の警戒感を持ちつつも、期待してくださる方に期待以上の以上をお返ししたい、と考えていました。そうして、事業を続けているうちに、私たちの周囲には、機能的な利用価値を見出すだけではなく、「この人たち面白ろそう」「この人たち、何かが違う」と感じてくださる方が増えてきて、期待の質が変わってきました。今では会社内外に留まらず、日本社会全般「才能にあふれて、人柄がよくて、正々堂々とありたい」と考える人が増えていることを実感しています。20代の感性が20年を経て、時代の感性になっていくような心持ちを感じています。

3.これがLTSの原点にあってよかった
LTSは今年、設立20年を迎え、この4月には連結500名のプロフェッショナルが所属する会社になりました。今、改めて、「お客様のプロジェクトをやり切りたい」という想いでLTSが始まったことに非常な幸運を感じていますし、その幸運を作り出してくださった関係者すべての皆さんに感謝しています。
LTSグループは、これまでそうであったように、これからも、いろいろなサービスを生み出し、事業領域を広げ、より多くのお客様に役立つ会社として発展していきます。その発展のプロセスの中で、「お客様のプロジェクトをやり切りたい」、「お客様のご期待に応えたい」という想いがあることを確認し、お客様のファンを作り、自分たちも成長し、こういう時間を通じて、自分たちの人生をより豊かなもの、精神的な満足感としても、多くの人との関係においても、そして経済性においても充実したものにする、そんな人の集団であり続けたいと思います。

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