読者に選ばれる努力を忘れずに次の1記事を書く
ブログは自由です。
好きなことをweb上に日記として書き残すことで満足していた10年前が懐かしいですね。
あれから数年が経過して、情報発信としてのブログ、マネタイズできるブログ、いろんなブログの側面を知り、独自ドメイン、レンタルサーバー、ワードプレスでのブログ運営に舵を切ってからでも8年が経過しました。
そして今、私がSNSやnoteで知ったブロガーさんの(トップランナーばかりフォローしているから当然かもしれませんが)、ブログ運営論やノウハウに触れる機会が多いので、大いに刺激を受けています。
それらから自分なりに刺さった部分を書き残しておきます。
ただ書くだけで読者の役に立てるわけがない
図書館にいくと、伝記ってありますよね?
あれって、別に手に取ってくれる読者のために書いているわけじゃなくて、その偉人の人生を書き連ねているだけだと思うんです(勉強不足だったらごめんなさい)。
そして、歴史上の偉人の考え方や行動を自分の人生や会社の運営に応用しようとするわけですよね。
私はよく本を読みますが、私に読書を勧めてくれた上司がよく言っていました。
「本を読めば、その人の人生を疑似体験できる。普通に生活していたら君の人生1人分の経験しかできないけど、本を読めば読むほどいろんな人の人生を生きることができる」
その時は特に疑うこともなくその通りだと思いましたし、今でもそういう考えもあると思っています。
なので、ブログの記事を書いていても、自分の経験に基づいた体験談や考えをweb上に残しておくことだけを考えていました。
必要性がある人が、どこかから私の記事にたどり着いて、その経験から勝手に参考にしたり学んだりするんだろう。
そうするだけでも私がブログを書く意義があると思っていました。
つまり、気に入ったなら手に取ってくれ。気に入らなかったらおとといきやがれ!
くらいの高飛車なマインドで書いていたと思います。いま思えばなんとも恥ずかしい。
読者目線で、読者の役に立つ、読者目線の記事を書くことが一番大切
インターネット上では数えられないほどの情報が溢れていて、日々増え続けています。
私のオリジナルの体験に基づいた記事だったとしても、おそらく同じような経験をしている人、そして私と同じように情報を発信している人も一定数はいると思います。
私が伝記に出てくるような偉人でなければ、わざわざ私のブログの記事を見つけて、それを目当てに読者が押し寄せるなんてことはないんですよね。
・・・夢見がちだったんです。
読者は良い記事を求めています。
自分の悩みを適切に解決してくれる記事。
読んで心が揺さぶられる記事。
ググって最初の記事をとりあえず開けるのだって、そこにおそらく一番有益な記事があると感覚的に知っているからでしょう。
自分よがりな記事ばかり書いていても、「多くの人に読まれたい」「困っている人の元へこの情報を届けたい」と能動的にアプローチすることはできません。
10年もブログを書いていて、そのことに今更ながら気がつきました。
ブロガーとしての次の10年は、次の1記事から修正する
10年ブログを運営していたって、そんなにPVがあるわけでも収益があるわけでもありません。
むしろ10年間もの間、それらを高いレベルで手に入れたいと追い求めてきた結果、悲しくなるほど成果を伴っておりません。
でも、記事を書いている時は楽しいし、こうやって note に文章を書いている今も楽しいです。
考えがスッキリしてまとまるし。
別にPVが増えるわけでもお金が入ってくるわけでもないですが、下手をするとブログ書いているときよりもそういう邪念がないから楽しいのかな?
だとしたら、ブログだって楽しんで書いていたい。
文章を書くのが楽しいんだからそれでもいい。
ただ、次の1記事からはちょっと趣向を変えて、フォローしているトップランナーの声を真摯に自分のこととして受け止め、読者のための記事として書いていこうと思います。
たぶん、その方がもっとブログを楽しめると思うから。
収益やPVはそれから考えます。
ちなみにこの note は考えを吐き出しただけの駄文ですから、次のブログの記事からそうしますね。
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