見出し画像

車でバアバと気仙沼まで(バアバ編)

バアバと旅行に来たのは、何年ぶりだろう…思い返しても思い出せないまま、北へと車を走らせた。

きっかけは、旅に出たい私が、バアバを置いてゆく申し訳なさと、80歳を過ぎてから、日に日に老いてくる姿を目の当たりにして、もう旅行に行くのは難しいのでは?と思ったからである。

目的もなく誘ってもバアバが行くと言うはずもなく、行き先は決めていた。


バアバは、20年近く前、私の家族と同居を始めてから、毎年、自分の誕生日に遺書を書く。そして、その内容は、

死んだらどうする である。

死んだらどうなる…

丹波哲郎 大霊界ではない。

遺書は糊付けしてあるが、内容は、ぜーんぶしゃべっていた。

献体を希望していた。

バアバの兄弟や、娘(私の姉、妹)に話すと、賛成、反対と思い思いの意見が出された。

私は反対だった。

いくら本人の希望であっても、実際、とりおこなうのは、残された者(同居の私)である。

手続きが複雑だったら、諦めるかも?の思いで、献体の方法を調べた。

献体を受付ている大学病院では、申し込み登録や同意書も必要だと教えてくれ、あたかも、私がもうすぐあの世へ行く準備人に、間違えられたりもした。

何年間か誕生日の度に、私がブンむくれに怒り、すったもんだしていたのが、次に言い出したのは

散骨だった!!

2006年に一世を風靡した、秋川雅史[千の風になって]の影響だったのかもしれない…

当時はガラケー時代で、インターネットも今ほど身近ではなく、パソコンで『散骨業者』と検索しても、1.2社しかヒットしなかった覚えがある。

それ以降、毎年ネットで調べると、海洋散骨、樹木葬、ショッピングモール提携のお葬式、などなど、たけのこのように乱立し始めた業者さんの、あの手この手の葬儀ビジネスを知ることになる。

散骨業者が増えて、お値段も手頃に安定してきた最近では、親戚や姉妹も、死んだらどうする事情が多様化しているニュースを聞くらしく、バアバの散骨に対しても、猛反対の雰囲気はかなりトーンダウンしてきた。(私含む)

そこで、バアバは場所の指定をしてきた!

茨城県沖である。

バアバの母の出身地で、戦時中に疎開していた茨城の海に散骨してほしいそうだ。

バアバとの旅の目的は、いつか、粉々になった自分を乗せた船が、茨城県沖へ出航する港町を見ることだった。

あいにくの雨で、車を止めて、海に向かって叫ぶこともなく(なぜ叫ぶ?)車内から、この辺かな〜と2人で見渡して、海岸をあとにしてしまった。

バアバはこの景色をどんな想いで見たのだろうか…

いつか私も骨になる。でもその前に、バアバからの最期の手紙を読んで、粉々にして、この海に来るXデーが来てしまうのだろうか…

バアバの誕生日になると、葬儀トレンドに詳しくなる私。葬式ディレクターになろうかなぁと話したら『明るすぎるから不向き』とバアバに一蹴された。

#散骨

#車でバアバと気仙沼まで

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?