やることを決めるより、やらないことを決める方が大切かもしれない

人生において、夢や目標を持つことは大切だと思う。

理想や自分のなりたい姿を想像することで、自分が生きている意味や、いま頑張っている理由みたいなものを信じることができるし、いわゆる、人生にハリを持たせることができるからだ。

だから、勉強でもそうだし、会社でもそうだけど、たいてい何か目標を掲げた際は、それを叶えるためにやるべきことをまず決めるだろう。自分もだいたいそんな感じで今までやって来た。

ただ、最近思うのは、もしかしたらやることを決めるより、やらないことを決める方が大切かもしれない、ということだ。

そして、やることを決めるよりやらないことを決める方がはるかに難しいのではないか、ということである。

たとえば、学校の試験対策のために、2週間前から毎日数時間勉強するというノルマを課したとしよう。

そして、今日は数学と英語、明日は国語と理科みたいな感じで勉強する科目を決めて、それぞれ何時間ずつ勉強するか考えながら、自分でスケジュールを切って勉強を進めていくだろう。

これは、試験というわかりやすいゴールに至るまで、自分が何をするべきか考え行動する典型的なものだと思う。

ただ、このとき、ぼくらはやることを決めていると同時に、やらないことを決めているとも言えるのではないだろうか。

対策期間中はテレビを観ない、ゲームをしない、夜更かしをしないなどの制限もあるし、今日はこの教科を勉強すると決めることの裏側で、今日はほかの科目を勉強しないと、選択をしている。

目標に向かって走るには、目指す方向を決めるために、その他の方向には進まないよう取り組む必要があると思う。

やらないことを決めるという行為は、自分がちゃんと理想に向かってやるべきことを努力し続けられるようにする、とても大切なものだろう。

ただ、これがやっかいなのは、やるべきことよりもやらないことを決める方が難しいのではないか、ということだ。

まず、選択肢がほぼ無限にある。自分にとってやるべきことというのは、案外数は少なくて、よく考えれば誰でもそれに気がつけるだろう。

ただ、やらないことというのは、とにかく数が多い。選択肢はほぼ無限に存在している。だから、意識していないと何かあったとき非常に混乱しがちだ。

それを防ぐために、自分の目指す方向と近しいところにあるものから、少しずつやらないことを決めていって、そして自分の目標からブレないように道を作っていく。

何が自分の取るべき行為で、何が自分の取らない行為なのか、はっきりさせないことが、余計なミスを犯さない大切な選択だと思う。

人生80年と言っても、ぼくらがその期間の間にやれることは、やっぱり限られている。
あれもやりたい、これもやりたいと時々思うけれども、やれないことの方がたくさんある。

自分の夢や理想を叶えるために、あえてやらないことを決める勇気みたいなものも、求められているのではないだろうか。


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