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アートを所有すること・旧日本軍発行のフィリピンペソ札・Poch Navalの作品について

先程、友人のアーティストと会ってきた。彼とは前々から、作品をスワップする約束をしていた。マニラのアーティストたちの間では、作品をスワップする文化がある。私はまだ2人とくらいしか交換していないのだが、その行為はなんだかとてもハートフルで、友情を深め、よいものである。単純に、アート作品を手にすることはとても喜ばしい。

アートを持つということは、一人の個人の、魂のかけらを手にするようなことだと思う。
一つの作品には、そのアーティストの歴史(経験)と思想と、その作品を生むまでの試行錯誤や人生全てが、ギュッと凝縮されている。大作でも実験的な小作品であっても、何かに向かう過程的な作品であっても、一様にそうだと思う。
生みの苦しみの程度は様々だろうし、楽しんで作ったのか悩んで作ったのかはわからない。でも、世界に一つしかないその作品には、その人の人生の過去・現在が凝縮され、未来までをも含んでいるかもしれない。

作品の質や好みは置いておいたとしても、だから私は作品を所有するということに喜びを感じる。そして作品は、所有して自分のものになると、親(作家)から離れ、また別の個体として主張を始める。それはいろいろな場面で自分に刺激を与えてくれる。
つまり、作品は生き物であり、小さな主張をする人間のようなものだと思う。

私は彼に、私が一昨年の末くらいから一つのシリーズとして作っている作品の、最初の実験的に作ったものを額装してプレゼントした。
このシリーズは、フィリピンが日本の占領下にあった時代の旧日本軍が発行したフィリピンペソ札を使ったものだ。国内通貨を増やすためだけに大量発行され、インフレが起こり、戦争終結と同時に何の価値もなくなってしまった紙幣。当地では戦後、ミッキーマウスマネーと呼ばれ、子供のおもちゃなどになるしかなかった。ミッキーマウスというのは、何にも価値がない、軽いもの、という意味でつけられたらしいが、なぜだろう。。
現在は骨董品屋などで、一紙幣20ペソ(約40円)くらいで売られている。
私は、日本人である自分に関わるものとしてそれに興味を持ち、作品に取り入れたりそれ自体を作品にしたりしているが、まだ明確な意味を見出せてはいない。日本人である私が、日本軍が発行したペソ紙幣をアート作品にすることの意味。日本占領期を経験したフィリピン人、それを知らなくても歴史を知り日本人に複雑な想いを抱くフィリピンの人はたくさんいる。
そんなセンシティブな素材を、アートとして再利用する際、わたしは何を語ってそれを出すのか。まだ、考えはまとまらない。

私は彼に、何度か、まだ自分の中で固まりきれていないから、この素材で作品を作っても大きな展示で出す勇気がないと話してきた。なぜなら彼は、私がそれを使うことをとても称賛してくれたからだ。
私の作品は、自分で言うのも可笑しいが、見目麗しいものが多い。インテリアにしやすい。ほどよく部屋に飾りたいアート。
それは作っていて楽しさもあるし、美しいものを作れると、自分の中で達成感もある。
ビジュアルを追求していくこともまた、一つのアプローチかもしれないが、前記したように、今はそれではダメだとひしひしと感じている。
彼は私の作品の、美しいものはおそらくあまり好きではない。
だから、彼が称賛した日本軍紙幣を使った作品の、一番最初の実験作品を贈った。

2016-17, Money,Time,Paper

彼は、2ft x 2ft(約60cm x 60cm)の大きめの油画と、いくつか持ってきていて、選ばせてくれた小さめのコラージュを二つも、プレゼントしてくれた。私は以前の会話から、小さめのコラージュを一つだけもらえると予想していたので驚いた。とてもありがたいし嬉しい。

私は彼の作品が好きだ。パッと印象に残る、そういった作品ではない。インスタ映えも、おそらくしない。じっくり見ていると、だんだん不思議な感覚に包まれる。なぜなら彼の作品の、特にキャンバスに描いた油画は、未完成な感じなのだ。
主張せずに、入り込む。ここに何かあったのでは。ここに何か、あるべきなのでは。そう思わせ、完成させるのは自分の頭にかかっている感覚になる。同時に、完成させなくてもよい、途中でよい、というのを赦されている感覚にもなる。彼の作品の「途中感」は、絶妙だ。
それに加えて、色合いが素朴で、黒の使い方が「夜」や「過去」を連想させる。彼の絵にはいつも、陰鬱ではない、ただまっすぐな目で見たような影がある。影は「途中感」を、深い思想に導く役割を果たし、鑑賞者は、絵の前で自分に向き合う。そんな作品だ。
コラージュは、もう少し、彼の主張が現れている。ユーモアのセンスが垣間見れ、彼のコラージュ作品が並んでいると、決して派手ではない、けどクスリとなる、静かな冗談が並んでいるみたいに見える。

Poch Naval 2018. 2ft x 2ft タイトルなし

Poch Naval 2018 コラージュ小作品。タイトルなし

今、この油画を、居間のダイニングテーブルの前に飾っている。良いものだ。
コラージュも、近々額装してこようと思う。

午後、互いの作品を交換した後、私たちはカフェでいろいろなことを話した。アートについて、共通の友人たちについて、日常について。彼はスペイン系フィリピン人であり、来月、家族とまたスペイン旅行をするらしい。
今回は彼の夢の一つだった、サンティアゴ デ コンポステーラの巡礼の、一番短いプラン(それでも丸1週間歩く)に参加するとのこと。
私はキリスト教徒ではないから巡礼に憧れは抱かないけれど、伊勢参りとかお遍路さんに近いのだろうなと想像すると、目的地を目指し歩くこと自体が、精神を浄化してくれる感覚なのかもしれない。
何よりスペインに行くということが羨ましい。私も来年は、ヨーロッパに行く用事を作りたい、と再び思った。

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