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海に散骨

私の部屋のテーブルに置いていた小さな骨壺。
妹の骨が入っている。

葬儀会社からもらった自宅用の簡易祭壇は使うことがなかった。
そういえばお線香も一度もあげんかったなあ。
たまに妹が好きやったポテチ系おやつを骨壺の前に置いてみたりしたけど。
甘いもの好きの私とは反対に、妹は塩っけのあるおやつの方を好んだ。

世間一般的には四十九日法要なるものをするみたいだが、私は必要ないと思っていて何もしていない。
四十九日にあたる頃だろうか近くに住むいとこから連絡があり、親戚のおばちゃん達からお供えを預かったから渡しに行きたいとのことだった。
その頃一番会うのが辛いなあと思ってたのが親戚だった。亡くなった直後はLINEでやりとりはしたけど、葬儀は家族だけだったので親戚とは会っていない。
妹のことを知り、亡くなったことも知っている誰かと会うのが辛かった。特に親戚は妹が生まれた時から知っている。会った時の空気感を想像するだけで辛いと思っていた。そんな矢先の連絡である。

会うのも辛いけど、お供えという形もいらないと思っていた。
妹のことを思い出したりしてくれる瞬間があればその気持ちで十分だと。
妹を始め私たち家族のことを思っての心遣いを受け入れられなかった。
後日郵送で受け取ることとなったのだけど。

部屋にいるといつも目に入る小さな骨壺。
この先どうしようかと。
自然に還したい。形はいらない。
調べてみた結果、一番しっくりくるのが海洋散骨だった。
本当のことを言えば、近所にぱぁ〜と撒くだけでいいんだがなあ。

海洋散骨を専門に行なっている業者に頼むと、クルーザーで沖合に出て散骨するのが主流らしい。その際に献花などセレモニー的なことをする。
海洋散骨自体はしたいけど、私はひっそりとしたい。セレモニー的なものはいらない。

調べていくと、自分でもできることがわかった。
ただ、骨を細かくしないといけない。そのままだと死体損壊、遺棄罪などの法に触れてしまう可能性もあるらしい。骨を細かくすること、粉骨というらしいが、それをしてくれる業者を探した。良さそうな所を2つ見つけた。

その前に父と弟にも相談せねば。
こだわりのない二人は思っていた通りあっさり承諾。

12月なかばの妹の誕生日に散骨しに行きたいなと考えていた。
なのでそれまでに粉骨を終わらせたい。
11月なかば、迷っている二つの粉骨業者の一つに電話してみたが誰も出なかった。なんとなくここは違うような気がすると思ったが、もう一つにも連絡とる気になれずそのままになる日が続いた。11月下旬になりそろそろ動かねばとようやくもう一つの業者に電話してみた。まだ迷っていたこともあり、話してみた感じで決めようと思っていたら、とんとんと話は進み、翌日粉骨してもらうことになった。

そこでの粉骨は、2つのセラミックスの球が入った、陶器でできたような入れ物に遺骨を入れ、電動モーターでその入れ物を回転させ、セラミックスの球がぶつかり合うことで骨が粉末状になるというもの。

骨壺からその入れ物に移し替えていく様子を目の前にしながら、遺骨を見ないようにしてたなあと思う。後になってちゃんと見ておけばよかったなあと思った。
遺骨が入った筒状の入れ物が電動モーターで回転し始めたのを少しの間見させてもらい、1時間程外で時間を潰して戻ると、遺骨はきれいにパウダー状になっていた。それを水溶性紙袋に入れ、さらにアルミパックに入れてくれたものを受け取る。費用は15000円、プラス骨壺を処分してもらうのに500円(粉骨、骨壺処分の料金は骨壺のサイズで変わる)。

これで準備は整った。
粉骨してくれたお店の方にも最後言われたが、自分で散骨するときに気を付けることがある。まずは、自治体が条例によって散骨を禁止にしている地域があるらしい。調べてみるとごくわずかにあったが、全て日本の北寄りだった。あとは、海水浴場や漁業海域を避ける。冬やけど海水浴場避けなあかん?とか色々思うことはあったが、色々調べてみてここならいいんでは?という所を見つけた。

結局、妹の誕生日ではなく、思い立ったが吉日で仕事が休みの12月の初めにすることに。葬儀にも出れなかった父は体力的にもちろん無理。弟には前に話した時に私に託すとのことだったので、私一人ですることになる。

家を出る時に父に行ってくることを伝え、パウダー状の遺骨が入ったアルミパックを父に見せると、ベッドに横になりながらそれを手にし、「頼んだ」と言って泣いていた。妹のことを言うと泣くので、普段は全く触れないのだがしょうがない。

電車に乗り、目的の海へ。
とても寒かった。
どの辺がいいのか歩きまわる。
散歩している年配の男性がたまにいるが人がほとんどいなくてよかった。
寒い日にわざわざ海くる人そうはおらんわな。

ここならという場所を見つけ、そこに決める。
アルミパックから取り出した小さな袋。
海に投げ入れると、白くぱぁーっと広がり一瞬で消えてしまった。
なんだかあっけなかった。

よく考えてみると、これって妹の遺骨のほんの一部でしかない。
収骨しなかった遺骨の大部分は火葬場でどのようにしてか処理されることとなる。すべてを海に還すなら気持ちはまた違うんやろうけど、これならすべて火葬場に託してもいいんじゃなかろうかと思った。

そんなことを考えていた少し後に、新聞で墓じまいについての記事を読んだ。その中に、火葬の際に全てを灰にしてもらい収骨をしないこともできるとあった。火葬場によってできたりできなかったりするらしいが。それと、環境に負荷を与えないのは、火葬より土葬とあった。確かに燃料も何もいらず、超自然。

今思うのは、供養とは故人のためにあるんじゃなく、残された者のためでしかないなあということ。供養と言いつつ、残された者がそれぞれの思う形で自分の心を慰める。

妹はこんな私をどう思うだろう。
「ねーちゃんの好きにしたらいい」
そんな風に言ってくれるんじゃなかろうかと勝手に思い、自分を慰めている。

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