親子貧乏あそび日記~冬~

雪国住まいでありながら、例年稀に見る雪不足で1月すぎにも関わらず家の周りには雪がない。いつもならそりや雪だるまをして雪遊びを満喫しているところだが、全くできない。雪遊びが恋しくなってきたので、雪のある場所を求めて息子アツと共に車で30分程の某スノーパークへ向かう。

なるほど。ここには雪がある。この日は気温8度と高めなのでびしょびしょ・ぐずぐずの雪だが、雪遊びするには十分な量がある。
親子共に雪遊びセットを持参したので、車内で着替えて、雪遊び!

ここスノーパークはスキー場だ。入場しお金を払えばキッズエリアのそりやスノーバイク、魅力的な乗り物に乗り放題。キッズエリア用のリフト乗り放題で、親にとって一番めんどくさいやつ、滑るためにそりを抱えて雪の坂道をわっせわっせと上る必要がない。なんとも魅力的!ラク!たのしそう!
しかし今日はお金をかけずに雪遊びを楽しむと決めている。私が選んだのは、スキー場エリア外の坂道だ。傾斜45~60度くらいの結構な傾斜の広い雪坂がそこにあるではないか。我々はここだ。貧乏親子雪遊びのリーダーである私はここに決めた。子供にあの魅力的なものを見せてはいけない。絶対に「あっちがいい。」というに決まっている。それを説得するのも、めんどくさいし、説得すればするほどみじめな気持ちになるので見せない・行かない・話さない。みざる・言わざる・聞かざるバリに、向こうが放つ魅力を全力で無視した。


スキーやそりは使わない。貧乏と言っても、そりは持っているのだがここなら「お尻すべり」がいちばん楽しいと私はふんだ。
「お尻すべり」は文字通り、お尻ですべる。道具は使わず、スキーウエアを着用したお尻で滑るのだ。
今日の雪はぐずぐず。コンディションが悪いと思うでしょ?でもこのぐずぐずがお尻滑りには最高のコンディションなのだ。
ワクワクが止められないアツは、ダチョウ倶楽部の熱湯風呂「押すな!押すな!」ばりに「やめろ!やめろ!」と坂の頂上に座りだす。私はそれを押すした。上下つなぎの生地つるつるタイプのスキーウエアをきたアツが、5~6mほどの坂を頂上から下までなんとも滑らかにつるりんっと滑っていく。つるりんっの後ろには、キラキラマークの絵文字がつくほどに。表現は汚いがまるで腸を移動する快便のように。(←大事なこと。)
もうこれが子供は楽しくてたまらない。その滑らかさに見ているこっちも爽快な気分。「もう一回!もう一回!」と急傾斜なんのその!テンション高めに坂をわっせわっせと登ってくる。雪がぐずぐずだから登りずらい。それが楽しいらしい。ぐずぐずだから足を進めてもなかなか上がれない。途中で滑り落ちちゃったり。あ~落ちちゃった~って残念な声出しても、楽しんでる模様。自分で登ってくれて助かる~。
もちろん大人の私も滑ります。アツともみくちゃになって、倒れ込みながらつるつるつるり~んとつるり落ちていく。ちょっとは恥ずかしいけど楽しい。大人も同じことを一緒に楽しむ。
私は、子供が私と喜んで遊んでくれる間は全力で遊ぶと決めている。子供が親と遊んでくれる期間は短い。10歳、11歳、12歳、思春期ともなれば絶対に遊んでくれなくなる。友達と遊ぶ方が楽しいと気付く日が来たら、当然そっちへ行ってしまう。親といると恥ずかしいと感じる日が来たら、向こうからのシャットアウトが来る。女の子だったら、買い物やおしゃべりなんかが大人になってもできるかもしれない。でも男の子だったら、きっと自分の道を見つけたらそこへまっしぐらに違いない。全宇宙の中でお母さんが一番大好きな息子。それもいつか卒業する時が来る。息子の世界の中心でいられた母親という役割。それもいつか終わりが来る。「子供と遊べる黄金期」は強制終了する日が必ず来る。いくら取り戻したいと願っても、あの頃に戻りたいと思っても、できない。
忙しいと、疲れていると、どうしても忘れちゃう。私は、それを絶対に忘れたくない。私は、子育てが夢だったから。人生で一番やりたかったことの一つだから。
これを書きながら、実は昨日疲れていて、子供と二人で特に遊ばず家でゴロゴロしていたことを思い出した。そしてこれを書きながらまた思い直した。疲れて、少し小さくなってしまっていた思いの火に燃料が追加された。消すな!消えるな!と夢を守ろうとする自分が脳内にいるのだろう。小さくはなっても、消してしまわずに、火守りしていきたい。そして、疲れていた自分に言いたい。そんな時もあっていい!いつもお疲れ様。疲れた時はゆっくりしてね~。


話が大逸れした。雪遊びは気付いたらその坂1か所で2時間くらい遊んでいた。急斜面の往復で、身体を十分に使い、子供も大満足に遊びきったという様子。そんな顔見れて私も満足。満点(自分に)。
雪遊びは最高だ。母として、なぜかというと、服が汚れないからだ。土泥汚れだと、ド派手に遊んできた証明で「派手にやってきたな~!」と一瞬一種の爽快感があるのだが、すぐに「あ〃ぁー洗濯めんどくさ。」に変わる。土泥汚れ落としは、多大なる労力がいるのだ。(私にとっては)まず洗濯場へ持っていくときに土が落ちたらめんどくさい。その後に掃除機しなければならなくなるからだ。なので、外で入念に払う。そしてたらいに入れて洗濯場にもっていく。泥をあらかた落とさなければ洗濯機には入れられない。ふろの残り湯を組んでタライの中で泥を落とす。これが1回では落ちない。何度も繰り返す。泥で濁った水は排水溝へ流せない。詰まる可能性がある。なので庭に捨てる。重たいタライを外へ運ぶ。あらかた落ちるまで繰り返す。そうしてやっと洗濯機に入れられる。重労働。重労働だ。
スキーウエアなら乾かせばOK!最高!乾くのが時間かかるけど、泥汚れ洗濯よりもずっと楽!
あと雪遊びで最高なのは、雪のクッションで転ぼうが何しようが痛くない。一面がピッチであり、土俵であり、フィールドだ。自分を解放して思いっきり遊べる。服汚れないからお母さんにやめなさいって言われないし、怒られない!って子供も思っていそう。(そのくらい殺気立って洗っている)
子供が好奇心・探求心に燃えているところを「かまわない」。そんな母になりたい。「泥汚れ、食べこぼし汚れも、汚れ全般、かまわないわよ!汚れ、かかってこい!」と言える母になりたい。あら、またそれてしまった。しかも洗濯の話(笑)

帰り、遊びまくってお腹が減ったので、近くの駅で1杯360円の温かいかけそばを食べた。うますぎる。お腹が空いていると、食べ物が数百倍美味しい。温かいおつゆが内臓を温める。冷えていた体が、不思議に全体が温まってくる。感覚を研ぎ澄ませて体験すると面白い。心地よい。気持ちよい。感覚遊びって幼児教育でよく聞くけど、大人でもできるじゃん。
寒い→体を動かして暑い。きつい・疲れる→楽しい。お腹が空いた→美味しい。寒くてガチガチ冷え冷え→あったかい場所・食べ物。緩急から生まれる喜びがある。


いらぬ人には全く受けない遊び方であろうが、我々は我々らしく楽しむことが出来たのでよしとしよう。子育ての正解は分からないが、こんな風に一緒に楽しんで行こう。
雪を存分に楽しめた休日になった。