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時をこえて届く愛のこと

愛されるよりも愛したいマジで
という歌詞の意味がわからなかった。

当たり前に愛されたいじゃん、と思っていた。
愛に飢えていたが
なんだか最近は満たされたのか
もらうのはどうでもよくなって
愛したいマジで、と思うようになってきた。

わたしは親に愛されずに育った

と主張するやつがいるが
親がどれだけあなたを愛しているか
親の気持ちがわかるのか?
私のこと愛してなかったですかと聞いてみたのか?

あなたが悲しい気持ちに焦点をあてているだけではないのか?

親に一瞬でも愛されなかった子供が
この世の中にいるんだろうか?いたら教えて欲しい、
だったらなぜあなたはここまで育って生きてきたんだ、愛されたからだろう?

親になってたくさん気付く。
子供との尊い時間。
この子達はきっと大きくなって忘れてしまうだろう、でもわたしは忘れたくない、君たちと何気なく過ごすとてつもなく幸せな時間を。

そして随所で思い出す。
自分がそう感じられる愛を持っているということ。
愛してると感じることができるならば、それは細胞が記憶しているからだ。
親(や、そのまわりの大人)にもらった愛がいま時間差でここに芽吹いているのだ。わたしはそう思う。

自分がこどもを見つめる時、親が私を見つめた目線の優しさを思い出す。
こどもにふれるとき、
親が私に触れた手の優しさを思い出す。

子供の頃はそんなことに気付かない。
愛されているのが当たり前すぎたから。

自分にこどもが産まれたばかりのときはエゴ全開で、「やり方」ばかりを考えていたし、
満たされなさ、自分の未熟さを子供に投影していた。
この子にはそんな思いさせたくないだとか
カルマの回収だとか
親の世代とは違うんだとか言って。

でも今は違う。
君たちが生きているだけで幸せだし
トテトテいってる足音とか
しょうもないことでコロコロ笑ってるとことか
幸せすぎて泣けてくる
君たちの洗濯物を畳んでるときだって楽しいんだ。

そういえば、私の部活の袴も
いつも綺麗に洗濯されてた。
あのときは当たり前だと思ってたよ。

いつか子どもたちは旅立ってしまうけど
それでもずっと彼らのこと想っている気がする。
親の心子知らずってこういうことなのかもなぁ。

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