群像劇のこの世界で新しい物語を紡ぐために『主人公感』を大切にしたい
あつきです。
Gaudiyのプロダクトに統括的に関わることとなって1年が経ちました。
社内外の様々な人と仕事をしつつ、PdM職能代表としてプロダクト組織におけるPdMのあり方に向き合い、たくさんの学び・反省の多い1年でした。
特に人間関係やモチベーションにおいて、各人の抱える想い『主人公感』がポイントだったと感じており、それについて書きます。
「自分の人生って、これでいいの?」
「今、本当にやりたいことなのかな?」
といった悩みがあり、自分の人生の主人公が自分だと思えない方のために。
そして、「誰かと良い物語を紡ぎたい」と思っている方のために。
主人公感
私は主人公か?
たまに、自分の人生がただ誰かに振り回されているように感じる。
他人が輝いて見え、自分の存在意義に頭を悩ませる。
生まれた意味とか、人生が誰のものかとか、ぐるぐる考えるけど、答えは出ない。
重たく聞こえるかもしれないが、色々な場面で似たような気持ちになる人がいるのではないでしょうか。
私の経験や見聞きした中では、以下のような場面があります。
主人公感という助け舟
私は、ぐるぐると答えもない思考・思想に時間を費やすのが好きで、自分の存在意義について考えることが多い人間です。
様々な哲学思想が思考のヒントをくれましたが、どんな有名な哲学者の言葉よりも漫画や音楽の1シーンが深く突き刺さることはよくあります。
(余談ですが、こうやって漫画や音楽といったエンタメへの感謝が深まり、Gaudiyのファン国家の思想に強く共感していっていると思います)
『ブルーロック』というサッカー漫画があります。
全員がストライカー、全員が自分のゴールのために生きるエゴイスト。
故にそれぞれのエゴがぶつかる。
その中で、あるキャラクターが周囲をうまく扱う方法として『主人公感』を捉えようとするシーンがあり、それが気づきのきっかけとなりました。
私は、この『主人公感』を「人生への没入感」 と解釈しています。
自分が主人公の物語
人生への没入
人生は、常に自分という視点から、一人称で進みます。
もし私の人生が映画になるなら、私の目がカメラです。
私が見ているものだけが私にとっての世界であり、私が見たものの積み重ねが私の人生です。
一人称の人生に没入しているだろうか
没入しようとしているだろうか
『主人公感』を持てているだろうか
ヒーローズ・ジャーニー
ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)は、神話研究から導かれたもので、人を惹きつける物語の法則です。
その法則に準え、自分の人生や直面している環境を俯瞰して考えることで、自分の物語に自分自身を惹きつけ、没入できるかもしれません。
以下にヒーローズ・ジャーニーを超簡易的に紹介します。
平凡な存在が大きな試練に向き合い、新たな出会いや葛藤を伴う冒険を経て、英雄へと変化して戻ってくる。
あなたは、自分の人生を物語として考えることはできそうでしょうか。
一人称で歩む人生ですが、時折このように三人称で俯瞰し、物語として解釈することが『主人公感』の鍵のひとつだと感じます。
もしあなたが、誰かに主人公感を与えたいのであれば、
その人の状況や葛藤を整理し、メンター・仲間・ライバルなど周囲の環境を整え、試練へと背中を押し、経験したことの内省に伴走できると良いかもしれません。
群像劇を忘れるな
誰かとの物語
人生は自分の物語ですが、自分だけの物語ではないでしょう。
必ず誰かの人生と交差し、新たな物語が生まれます。
この世界は群像劇です。
誰かが始めた物語に参加する場合も、自分が始めた物語に他人を招待する場合もあるでしょう。
誰かとの物語において自分の思い通りになることは少ないですが、ひとりでは起こり得ないドラマチックな展開を楽しむことが、次の『主人公感』の鍵です。
主人公同士だからぶつかる
「正義の反対は悪ではなく、もう一つの正義」
なんてどこかで聞いたことがあるかもしれません。
頭ではわかっていても、いざ誰かとぶつかる時、大体は自分が正義で相手は悪(とまでは言わずとも、少なくとも間違っている)と思いがちです。
衝突は、それ程に互いに本気な証拠だと思います。
つまり、それぞれが没入しているから、主人公だからです。
あなたの周りの誰かの『主人公感』を感じようとしたことはありますか。
誰もが主人公としてそれぞれの物語を持っています。
その物語が交差し、時には衝突し、新しい大きな物語を紡いでいく。
その過程を面白がり、自分だけでない周りを含めたより広い物語を捉えることで、あなたもあなたの周囲も『主人公感』を得られるかもしれません。
自分が主人公で目の前の誰かも主人公であり、大きな物語を共創できることに感謝しましょう。
我の強い私は、やっと少しずつこの感覚を持てるようになりました。
脇役の主人公
もうひとつ、役割によって『主人公感』を失ってしまうこともあります。
例えば、周囲の注目・スポットライトが当たりにくくなってしまう時や、誰かのサポートに集中する時です。
全員が主人公の群像劇といえど、役割として誰かが話題の中心になり光り輝く瞬間は、その周りを支える影のような役割があります。
物語の中には、主役はトラブルメーカーで、主人公は振り回される端役・脇役という構造のものもあります。
物語を読む人にとって共感しやすいのかもしれません。
もし、役割で『主人公感』を見失ってしまっている人がいたら、あなたの人生の主人公はあなた自身であり、あなたが関わっている物語の中であなたも主人公の一人として重大な役割を担っていることを忘れないでください。
そして、注目を集める主役を主役足らしめているのは、端役・脇役の存在であり、その役割は主人公として十分に楽しめるものであるだろうし、その物語は多くの人が共感する面白いものかもしれません。
安心して没入してください。
Gaudiyの紡ぐ群像劇
Gaudiyがつくるもの
Gaudiyは、IPを中心に、ファンと一緒にコミュニティを創っています。
ファンと一緒にコミュニティを考え、ファンの欲しいものを共創する。
その先に、ファンによるファンのための場所、ファン国家を見ています。
IPの作者がはじめた物語があり、ファンが様々な形で参加し、物語の新たな章が紡がれる。
その過程には、役割を変えていき、人生が変わるファンもいるだろう。
新しい物語の流れを知り、ファンとなり、物語の新参者となる人もいる。
ファン同士の交流から、別の物語が生まれるかもしれない。
全員が主人公になれる群像劇と、その群像劇から新しい物語が生まれる場をつくっている。
Gaudiyという舞台
Gaudiy自体もそういう群像劇の舞台でありたい。
CEOのビジョンではじまった物語に、100人以上の人生が交差している。
主人公だらけの組織で、互いの『主人公感』を理解・共感しながら、大きな物語を紡いでいく苦悩や葛藤すら楽しみ、没入したい。
それを支えるように、プロトコルと呼ばれるGaudiyの社内制度や仕組みが日々アップデートされています。
私も元々はプロトコルづくりに携わっていましたが、この一年はプロダクトに主戦場を移しつつ、プロダクト組織やプロダクト内でのファン国家のためのプロトコルづくりを意識しています。
手前味噌ではありますが、Gaudiyほど『主人公感』溢れる組織は少ないんじゃないかと思っています。
そしてこれからも多くの物語が生まれるように尽力していきます。
私は、誰かと誰かが紡ぐ面白い物語がたくさん現れる場所を作りたい。
それは、Gaudiyそのものでもあり、Gaudiyが作るコミュニティでもある。
そう感じたため、人生の第n章にGaudiyでの物語を選んだ。
あなたも、Gaudiyの物語に、ファン国家をめぐる群像劇に参加しませんか。