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鯔がきらめく、浅瀬は春(2)

ボラは70-80年代のロックアイコンだった。デヴィッド・ボウイやデュランデュランでおなじみの襟足を長く伸ばしたあの髪型は「Mullet Hair」といい、Mulletとはボラのことだ。

流行るにつれて、襟足以外はより短髪に、サイドを刈り上げたりと先鋭化していったが90年代に入ると一転、ビースティー・ボーイズが『Mullet Head』でバカにしたようにダサい髪型の代名詞になった。

髪型とボラは他にも縁がある。江戸時代の魚河岸の若い衆が髷を横に寄せて結ったものを、ボラの若魚であるイナの背ビレに似ていることから『鯔背銀杏(いなせいちょう)』と呼ぶ。どこがイナの背ビレなのかあまり理解はできないけれど、この髪型が由来で彼らの威勢のよい気風を「いなせだね」というようになり、粋であることを意味する言葉「いなせ」として今も残っている。

ホドロフスキー『サンタ・サングレ』で冒頭、精神病院に入れられているフェニックスがむさぼり食っている魚がどうもボラのように見える。ボラの刺身が好きな自分でもさすがにそのまんまの丸かじりはしたことがなかったから、こういう食べ方もあったかと大いに衝撃を受けた。ただ、いまいち映像の解像度が低くて本当にボラなのか確定しにくいため、4Kリマスター版のリリースが待ち望まれる。

夏目漱石の『吾輩は猫である』にもボラについての記述がある。

元来我々同族間では目刺(めざし)の頭でも鰡(ぼら)の臍(へそ)でも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えて善いくらいのものだ。

ボラのへそというのは、喉の先にある幽門とよばれる食べ物と砂利を分別する器官のことで、見た目がそろばん玉に似ていることからボラのそろばんとよばれることもある。

砂が残っている可能性があるから半分に切って中をしっかり洗って、塩焼きにするとおいしい。味を一言でいうと磯の風味がある砂肝のようでまさに珍味というにふさわしい。ボラの身はわりと日持ちがする方だけれどヘソは内臓だから、新鮮なボラのものでないと苦くて食べられないことが多い。

ボラと同じく出世魚であるブリは、どこまで大きくなっても呼び方はブリのまま変わらない。一方、ボラが大きく育ったものにはトドという呼び名がある。長年のボラ食で気づいたのは、大きすぎるボラはおいしくない、ハズレのものが多いということだった。身がぐずぐずで食感はドロリとしていて、ボラ好きの自分ですら食べる気にもならないし、煮ても焼いてもどうにもならない。ボラのそっくりさんであるメナダはボラよりも大きく成長しやすく、もともと身が少しぬるっとしていることが多いからメナダと知らずに買ってしまった可能性や産卵後、オスメスの違いなどもあるかもしれないけれど、どちらにせよサイズは買う買わないの目安にはなるし、実際に大きすぎるボラをさけて買うようにしてからはハズレを引くことがなくなった。

これが食う気にすらならなかったまずいボラ。

ぎりぎり食えるもののぶよぶよしていておいしくはなかったボラ。

そしていつからか、ボラの上にわざわざトドという呼び名があるのは、このおいしくないものを避けるための先人の知恵によるものなのかもしれないと考えるようになった。ブリはどこまで大きくなってもおいしいままだから名前を変えて注意を促す必要もない。

死んだボラを食べることだけでなく生きているボラを見ることも好きなので、以前はSNSでボラでエゴサーチして、釣り人がボラを引っ掛けてしまった画像や群れて泳ぐ映像などを探していた。特にボラの異常繁殖情報があった場合、タイミングがよければ小田原の用水路や大洗の河口付近に急いで駆けつけたりしたものだったけれど、東日本大震災以降、ボランティアのことをボラと略す人が急増したせいでそういった手がかりを得る機会がなくなってしまいとても悲しい。(続)

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