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うっかり遠くへいってしまいそう(2)

(1)からの続きです

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以前、小諸図書館で佐久の街道についての文献をあたった際、70年代の岩村田本町のアーケードには人があふれていたような描写があったが、現在は見る影もない。個人商店は商店街に、商店街は大型スーパーに、そして大型スーパーはネットショップに、栄華のあとには衰退がある。飛ぶ人は落ちる。

岩村田のアサマ名曲堂は病院の目の前にあったと教えられていたが、そこには駐車場の大きなローソンがあるだけで、それらしき建物はなかった。自転車で通りがかった年寄りに話を聞いてみると、もう何年も前に取り壊されたという。本町のアーケードからの続きでいくつも店舗が立ち並んでいたそうだが、もともと東西にT字路が二つ重なるようになっていたところを建物を取り壊し区画整理をして、現在の交差点になっているらしい。

観光客だと思われたのか、年寄りに「観光しているのだったらヒカリゴケを見にいくか、閼伽流(あかる)山に登ってみるといい」と強く勧められた。ずっと昔からこのあたりに住んでいるらしく栄えていた時代のことを聞きつつ、アメリー・ノートンの作品がまったく翻訳されないこと、久野かおりの『Concord』はコンコルドではなくコンコード(調和)だということ、マイルスバンドには晩年のマリリン・マズールまで女がいなかったことなど、しばらく話をしていたがそのうち読み込めなくなった今井美樹のCDのように「閼伽流山に登れ」としか言わなくなったので、ほっておいてその場を後にした。

日はとっぷりと暮れてしまっていた。もう目的のアサマ名曲堂は存在していないようだし旅の目的もなくなったに等しい。岩村田や佐久から都内への高速バスの路線はあるが、時間的にもう便はない。帰京は明日にするとして、定宿のある上田に向かうことにした。


完全インドアの人間だった自分が25歳の時、陶磁器好きが高じて窯元めぐりを始めたころの旅のモットーは「遠くへいきたい」だった。そのうち住宅街に興味を持ち、日本全国をまわって住宅街の写真を撮るようになってからは「知らない街を歩いてみたい」でずいぶん長い間そのままにしてあったが最近、自分の心情や旅の趣きにぴったりのものがガールズポップの中から見つかった。

ああなんてひどく晴れてるの
うっかり遠くへ行ってしまいそう
 村瀬由衣「うっかり遠くへ」 ( 作詞 : 朝水彼方 )




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上田に着いて、まずは中村屋へ。初めて上田に来た時に「肉うどん」と書かれた看板につられて入ってみたら、馬肉うどんで驚いたものだ。それ以来、上田に来たらかならず立ち寄るようにしている。とても甘いつゆと柔らかなうどん。

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宿代わりのいつものネカフェへ向かっているとハードオフ上田店がある。ジャンクコーナーに最近ちまたで流行っているアーシアン2と3のCDがあった。つい先月にも長野市内でボーカルコレクションを見つけたばかりで、どうも長野はアーシアン率が高いらしく、まさに長野こそがFUTURELANDだということがわかる。その他にも自主製作のニューエイジものを2枚買う。

上田周辺の店舗はこのハードオフ以外もうすでに訪問済みだし、以前ほど多量に購入したりすることもなくなったので大丈夫なのだけれど、一日に何軒もブックオフをまわるような旅をしていた頃は買ったCDでだんだんとバッグが重くなってきて、なぜこんなことをしなくてはならないのかという原罪意識のようなものを感じていたものだった。

「ここだ、ここだ。ちょうどそこのブックオフだったね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「値段はつかないんですがお引取することはできます、と言われただろう」
なるほど買い取り価格は0円らしく思われた。
「お前がおれを売ったのは今からちょうど百年前だね」



ネットカフェで一泊、旅行中はいつも4時頃には目が覚める。昨日、上田を歩いているうちは迷っていたが、トイレを済ませ部屋に帰って来るともう心は決まっていた。閼伽流山に登ってみようとおもう。


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佐久方面への始発に乗り岩村田駅で下車。閼伽流山まで公共の交通手段はなく、駅からはえんえんと東に向かって歩いていくことになる。朝の6時から住民総出で草刈をしている地域を横目に見つつ、途中、寄り道しながらだと麓の明泉寺まで2時間ほどかかった。

出発前にネカフェで少し調べてみたところ、閼伽流山はパワースポットと呼ばれているようだった。遠目には一部、岩肌が露出していてなんだかパワーがありそうな雰囲気はある。明泉寺の石段を上り、本堂の脇から舗装されていない山道を30分ほどで山中のあちらこちらに石仏が現れはじめる。

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観音堂までは石窟もありつつ、数多くの石仏が立ち並んでいて壮観な景色で感心するが、明泉寺から観音堂まではかなりの距離を登らなければならないためか、パワースポットには付き物のご利益乞食の人たちがおらず辺りはとても静かだ。

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観音堂の裏手のただの崖が展望台へ向かうさらなる登山道のようで、ところどころルートを示すテープが木にくくりつけてあり、それにそって目を凝らしていると登れそうなポイントがわかってくる。かなりの急角度で足場は安定しないし、岩を踏み外したり足を滑らせたりするとあぶない。人っ気がないので落ちてしまっても発見してもらえるまでしばらく時間がかかりそうだった。

旅はいつも気まぐれに始めてひとりきりだから、もし本格的な登山をしていたらもうとっくに死んでいただろうとおもう。単独行での登山など自殺と大差ないということは、山と渓谷社の羽根田治の遭難本シリーズを読んでいるのでよくわかっているつもりだ。しかし、幸運なことに自分は登山に興味を持たずに済んだ。中学二年生の春に行う恒例行事、鳥取県の大山への立志登山以来、登山らしきものはやっていない。

掴まることができそうな場所を探し集中して一心不乱に急斜面を登りつつ、頭では別のことを考え始めていた。立志登山の時のことや中学校の所属していたバスケ部のことなど、まるで山形由美のフルートの調べのように、ゆるやかに意識下を流れていたさまざまな記憶が次々に浮かび上がってくる。岩村田からの道中で、表札に「S川」という比較的珍しい苗字をみかけたことから、中学校の同級生で同じくバスケ部に所属していたS川くんのことを久々に思い出していた。高校の卒業間近に割とヘビーな罪を犯し少年院に入ったことは風の便りに聞いたけれどいまはどうしているのだろうか。

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崖をなんとかやり過ごしひと休みしつつその先の湿った斜面をながめていると、ショートカットにはなっているが険しいルートと、大きく迂回しているが比較的安全そうなルートがあることがわかった。あせらずにより危険のなさそう方を選んで登っていく。

小学校のころのS川くんはA井さんと付き合っていたというのを人に聞いたことがあった。A井さんとは中学一年生の時に同じクラスだった。A井さんにはいつも一緒にいる親友がいた。

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斜面を登りきり、岩を巻くように細い道を抜けるとそこが仙人ヶ岳と呼ばれる展望台がある場所だった。東屋のベンチに座って佐久を一望しながら休憩していると、雲に切れ間が出来、ちょうど陽がさしこんできた。

A井さんの親友とも中学一年生のときクラスが同じで、なおかつ席が隣だったことがあった。彼女の名前はそういえば…

昨日、ブックオフの棚で見た『マーベラスアクト』のCDの背のように、思い出のその箇所も真っ白に、判別できないくらいに色あせていたのだろうか。閼伽流山から突き出た岩の上で冬のほのかな陽ざしを浴びていると、なぜこんなことを今まで忘れていたのか不思議なくらいの記憶が驚くほどあざやかによみがえってきた。

A井さんの親友、その彼女の名前は佐藤聖子だ。

思わず声が出た。
「佐藤聖子とは二度、出逢っていた」
一度目は中学校で、二度目は行徳駅前のブックオフで。

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同級生の同姓同名のほうの佐藤聖子さんとは席が隣で仲良かったばかりでなく、バレンタインに本命のチョコをもらったこともあった。立志登山後の自由時間で告白されて、それを断ったことも思い出した。細かいことばかりしつこく記憶している自分がなぜこんな大きな出来事を忘れていたのか不思議でしょうがなかった。

何枚あるかもわからないガールズポップのCDを買い込み片っ端から聴きこんでいかなければならないなんて、『ヘラクレスの栄光III』のバオールのように、前世でなにか重い罪をおかした所業によるものかとおもっていたがなんのことはない、昔、佐藤聖子をふったせいだったというのか。


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ポール・ブレイとの離婚前で不倫状態にあったカーラ・ブレイとスティーブ・スワロウがステージ上で見つめあう時間よりも長く、呆然としたまましばらく東屋のベンチに座っていた。晴れ間がのぞいたのはほんの一瞬の出来事でふたたび日は翳ってしまったが、朝方から先ほどまで吹いていた風は止み、幾分寒さも和らいできていた。岩村田まで戻るにはまずは下山してからまたずいぶんと歩かなければならないけれど、そんなことはもうどうでもよかった。家にあるガールズポップのCDはすべてウォークマンに取りこんで持ち歩いている。一時期、聴きこみ過ぎたせいもありしばらく遠ざかっていたけれど、いま佐藤聖子の「星よ流れて」を聴いてみたらどんなにすばらしいだろうと、バッグからウォークマンを取り出した。

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