『リアル脱出ゲームTV』

これまでに数々の無差別爆弾テロ事件を巻き起こしたテロリスト「謎男」から、犯行予告が。謎男の陰謀を阻止する方法は、制限時間以内に謎を解くこと以外にない。爆破まで残り1時間。

以前『俺のダンディズム』の時にも書いた、バラエティ+ドラマのカテゴリにこのドラマも区分けされる。算数の問題上に出てくる「花子さんがりんごを3個買いました」というものと同じで。その買い物を通したメッセージやテーマを見出すことに意味が無いように。他のドラマと同じような説明は意味を成さない。クイズのためにドラマが有り、その主従は異なるのだ。
昔は、お化け屋敷に物語が要らなかったように、クイズに物語を必要とするなんて、コントでしかないのだが。富士急ハイランドの戦慄迷宮のように、アトラクションに没入させる装置として、物語が起用されるのならば。クイズのイベントに物語が採用されるのも宜なるかな、というワケである。それは『逃走中』という番組も同じだ。
つまりこの番組は、TV番組であると同時に、体験型アトラクションなのだ。フィジカルな体験型アトラクションを、モニタ上で疑似体験する時に、物語という嘘を介在させることで、私個人の体験という個別の感情を、みんなで同じ物語を共有させるという共同幻想に変換させているワケだ。

今は戦争体験のような、誰しもの人生に根ざした共通の「大きい物語」が成立しない時代だと言われているが。それによって、個人的体験を聞いてもらう前提が、共有されにくい時代でもある。笑っていいともの最終回を見ても分かる通り、バラエティを通してTVタレントのデータベースが機能していた時代、その最後がナインティナインで、その後タレントデータベースは、googleに外付け保存されるようになっていった。
つまり、このタイプのバラエティ+ドラマの構造を有した番組とは、みんながTVの向こう側の嘘だと分かりきった共通の物語に、一時的にあえて乗っかることで、TVを使った共同幻想を成立させているといえる。
鈴木拓の炎上事件に顕著なように。自分と関係ない他人のゲームに怒る理由は、本来はない筈で。それはサッカーや野球であっても、人生をかけて応援し、時にその内容に憤りを覚える理由はやはり無いのだ。しかしそれでも、没入し我を忘れてしまうのは。近年のアイドルブームを見ても、物語化それ自体が目的化していく過程で、アイドル自身のスペックよりも、共同幻想である物語を守ることが、同時に自分自身の体験を守ることと同一化していってしまう為なのではないだろうか。

ドラマの話からはズレてしまったが、このドラマ冒頭でかかる、笑点のテーマがその証拠にはならないだろうか。まとめると個人的体験っていうのは、今の時代「知らねえよ」な訳ですが。対象となる擬似的な嘘の物語をみんなで一旦信じ(共同幻想)、みんなで共通の物語(擬似的な大きい物語のコード)を語ることで、個人的体験の語りを解消するタイプのエンターテイメントの一つが、この『リアル脱出ゲーム』。それは、自分語りを消費できない社会における、癒やしなのではないか。おっさんになると、同じ話や自慢話が増えるというのも。そういう自分語り欲の落とし所の無さと、共通の話題の無さからくるものなんだろう。このドラマの犯人が、孤独な自殺志願者なのはその為だ。誰も自分の話を聞いてくれないことが動機に当たる。この番組の序盤で出てくる「みんな遊ぼうぜ」という言葉こそが、この番組の製作者からのメッセージと言えるだろう。

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