『喰う寝るふたり住むふたり』

日暮キノコ原作のドラマ。同棲8年目のアラサー・カップルを描いたラブコメディ。

同棲8年目のアラサー・カップルによる、互いの考え方や性格の違いから生じる誤解やすれ違いを、両方の側から二度に分けて見せることで、ほっこりとした可笑しみに落としこんでいるが、意外とキツイ話。

自分には、金子ノブアキ演じるのんちゃんに所々リアリティを感じなかったのだが。ゆるい男女逆転モノだと考えると。膝を打つ恋愛あるあるという風に見えないこともない。

第一話から一番気になる所でも有り、一番のクリティカルなポイントでもある、結婚観についての話をテーマに据えているのだが。プロポーズの言葉がすれ違ってしまったまま、解決を待たずに、のんちゃんの中で心のわだかまりが解け、問題が先送りにされているのが。とてもじゃないがほっこりエピソードとは思えない、晩婚/非婚化のリアリティを感じて、薄ら寒い思いをした。

表面上のんちゃんは、リツコを問い詰めたりアレコレ詮索しない、おおらかな性格なのだが。こうであって欲しい理想の彼女像を押し付けてしまう重さが根っこにあって。我慢をして相手の歩みに合わせている。その為、鬱憤を自分の中にタメてしまい、俺はこんなに頑張っているのに式の怒り方を時折しているという設定なのだけど。カップルで共有していた所でさして恥ずかしくもない、結婚観ですらマジな所を見せたらダサいみたいな態度で、頭の中で自分とばかり話している、大凡恋愛を二人でしているとは思えない、中学生始めての恋愛みたいな設定の人を、金子ノブアキが演じているのに違和感を覚える。だけど、「駄目だこいつ」という思いと、「こんなやつ居ねえよ」と100%言い切れない思いもあって。前述した薄ら寒い思いに繋がっている。

コレは多分、このドラマの一番のポイントで、二人がお互いに相手の本音の部分のキャラクターを誤解したまま八年経っている事が、二度に分けられた二人のパートの演技の演出を変えていること現れている。前述した表面上ののんちゃんとは、リツコから見えるのんちゃん像であり。その後に書いた重いのんちゃんが本来の姿なのだろう。一人の人物を主観視点と客観視点で切り分け、まるで別人のように演出して、その両側を見せるというのは中々面白い試みだと感じた。

二回とも同じにするのが誠実だと思っている作り手が多いんけど。そのやり方は死ぬほど手垢まみれな上、前半内に後半の、言わばネタバレがあるので、謎解きと答え合わせ的な見方を視聴者が自然としてしまうので。それがしたいのであればいいけど、描きたいテーマが別であるならば、それにあった演出法をチョイスした方がいい。

話を戻すと、この演出によって見えてきたものは、このドラマほっこりラブコメディの皮を被っているけれど。(500)日のサマーや、ブルーバレンタイン、レボリューショナリー・ロード等の、近年映画でよく見られる、恐い程にキツイ恋愛映画と近い感覚を共有している話なんじゃないだろうかということ。だとすると、この二人最終回で別れるんじゃない。

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