『なるようになるさ』

自宅レストランを舞台に他人同士が織り成す人間模様と、現代の家族のあり方を問うホームドラマとして人気を博した前作。またしてもワケありな面々をあずかることとなる。

他のドラマとリアリティラインが違うので、多少の違和感はあるものの、こういうのがたまにはあって良い。勿論橋田壽賀子だから、誰も文句が言えないせいだとは思うが。本当なら、主人公の夫婦は、人生に余裕のある恵まれた人間というだけでは説明しきれない、感情の欠落した異常者手前のキャラクターに見えてもおかしくはない。そして、橋田壽賀子以外のドラマに出てる時は、違和感ばかりが際立つ泉ピン子が、一番自然にうつる。だけれど、台詞もテンポも設定もキャラクターも少しづつおかしくて、何となくそういうものとして享受してしまう。これが夢オチでも、死後の世界でも、なんとなくそういうものとして受け入れてしまうような気がする。そういう意味では、社会問題的なものを扱っていても、昔話やお伽話のような、ファンタジーなんだろう。

舞台となるお店は、社会と隔絶されたシェルター的役割を果たしていて。殆ど店の外が描かれない為、物語の片道しか想像することしか出来ない。それは登場人物の背景を巡る関係性にも表れており。冒頭でパート1からの続投者達が、台詞で今の状況と設定を説明しあう一方で。主人公である夫婦は、積極的に避難者の事情を聞こうとしない。今回は若者だけでなく、おばあさんまで匿うことになるのだが。そうなると、孤独死なんかがテーマとして出てくるのかもしれない。そのおばあさんの登場シーンに、蝿が飛ぶ音が付いていて、無銭飲食をして、帰る家がなくて、他にも突っ込みどころがあるのだけれど、なんやかんやで何も聞かず同居する。また、何故か最初からいる南沢奈央の挙動がオカシイのだが、それも途中まで無視したまま進む。かと思えば、話のテンポはゆったりしているのにも関わらず、一話で彼女の問題はほとんど解決し、終盤には別人のようになっている。よく分からないが、オカシイことは分かる。まあ一番の謎は、この店がそれなりに繁盛している根拠なのだが。それはパート1の時に、説明されたシークェンスを見てもよく分からなかったから、多分一生分からない。

それと沢山の時間を使ってこの夫婦の生活が描かれるのに、二人に全く生活臭さを感じない。街のお店なのに、ご近所付き合いも殆ど無いし。突然世界に現れたかのような二人の人生、特に浅野温子の人生が見えない。多くの設定の歪みを、彼女が一手に引き受けることで成立させているが、そのことでキャラクターが壊れてるのかな。
このドラマはシットコムなの?という位、限定的にしか外の世界をカメラが写さないし、実はこの世界は『まどか☆マギカ』劇場版の、前半部分のような気さえしてくる。
色々書いては見たけど、結局よく分からない。ただメチャクチャ変なドラマだと思う。だけど、他のドラマが構造的に似たものが多いので(多分修正が繰り返されることで似るんだろう)。たまにルールの違う作品を見ると、新鮮で悪くない気持ちにもなるから、正しいドラマの形なんて別にないんだよな、と思わされる。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?